神山町 kamiyama-cho

総務課

位置・地勢、歴史・沿革について

位置・地勢、歴史・沿革について

位置・地勢、歴史・沿革について

本町は、徳島県東部の名西郡(神山町・石井町)に属し、町内の東側(広野地区)は県都徳島市、石井町と接しています。本町の役場と徳島市役所とは車で約45分という位置です。

町面積は、徳島県内24自治体の中で9番目に大きい173.30平方キロメートル、町の中央を東西に横断する鮎喰川上中流域に農地と集落が点在し、その周囲を町域の約 86%を占める300~1,500メートル級の山々が囲んでいます。山林は植林された杉、檜が多いものの、ミツバツツジやシャクナゲなどの自然植生群落もみられます。町の南西部の柴小屋自然林や最高峰雲早山の頂上付近に広がるブナ、カエデ類の高木、ヒメシャラなどの自然林は、清流鮎喰川の源となっています。年平均気温は14℃前後、年間降水量は2,100ミリメートル前後です。季節によって寒暖の差が大きく、地区によっては冬に数センチの積雪があります。 

歴史・沿革

神領地区には日本神話に登場する唯一の穀類の祖神である大宜都比売命(おおげつひめのみこと)を主祭神とする上一宮大粟神社(かみいちのみやおおあわじんじゃ)があることから、古くから先人たちがこの地に集い、粟などの穀類を生産し、生活が営まれていたと推測されます。この地は、古来、阿波の語源ともいわれる「粟生の里」と呼ばれ、多くの人が交流する拠点として栄えてきました。江戸時代から明治にかけては、農民の娯楽として阿波人形浄瑠璃が盛んに上演されていました。その舞台を飾った襖絵が今も1,400点余り残されているほか、一時休止していた人形浄瑠璃座寄井座も町民と関係者の熱意で復活し、当時の息吹を現代に蘇らせています。また、小学生に伝統芸能を伝授する取り組みも始まっています。町の沿革は、明治22年(1889年)市制町村制施行によって広野・阿川両村が合併した「阿野村」、下分上山・左右内両村が合併した「下分上山村」に、「神領村」「鬼籠野村」「上分上山村」を合わせた5村で存続していましたが、昭和30年(1955年)、5村が合併して「神山町」が誕生し、現在に至っています。 

町章

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中央の「カ」は緑の山々に囲まれた神山町の限りなく未来に向かって開けゆくすがたを表し、これを包む丸い3本の線は、鮎喰川の清流に恵まれた情緒豊かな郷土神山の長い歴史と伝統を生かしながら、更に町民総親和のもと、平和で明るく住みよいまちづくりを象徴しています。

そして、全体で「カミ山」を図案化し、昭和40年(1965年)町合併10周年を記念して制定したものです。 

町民憲章(昭和60年5月1日制定)

私たちは、神山町民であることを誇りとし、「健康で明るく住みよい町」づくりのため、願いをこめてこの憲章を定めます。

1. 鮎喰川の清流、緑の山々、さわやかな空気の美しい郷土を守ります。
1. 若い力を育て、健康で、豊かな愛情をもつ人を育てます。
1. 時に目覚め、研究を積み、情熱を傾け、すばらしい生産の創造に努めます。
1. 自分を愛し他人を尊び、平和で未来にひらける町をつくります。
1. 神山の美風と伝統を守り、新しい文化をつくり、活力に満ちた町づくりにはげみます。 

神山町の花・木・鳥(昭和60年5月1日指定)

うめ(町の花)

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2月から3月にかけ、かわいい花を咲かせる梅は、町の特産品として多く栽培されています。とても香りの良いこの花は、神山の里に、そして人々の心に春の訪れを告げてくれます。

神山杉(町の木)

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自然条件に恵まれ、町内で最も多く植林されている杉は、古来から「神山杉」と呼ばれ、良質で用途が広く高く評価されています。すくすくと大空に向かって勢いよく成長し、その木立は雄大であり、まさに“健康で明るく豊かなまちづくり”のイメージにふさわしい木です。神山杉については、こちら

ヤマドリ(町の鳥)

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キジ科でキジよりやや大きく、赤茶色で町内の緑濃い森林などに生息しています。たくましく、美しい山鳥は、古い民謡の中にも「山は焼けても山鳥は飛ばぬ、かわいいわが子にひかされて・・・」と歌われており、“母性愛・人情”を思わせる鳥として知られ、広く町民に親しまれています。

総務課への連絡先
TEL:088-676-1111
E-mail:soumu@kamiyama.i-tokushima.jp

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