神山町 kamiyama-cho

神山はいま

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これからの神山へ。
―地元出身の私の役割―

平成27年12月27日

広岡早紀子さんは神山町の出身。移住者が注目される神山町で、地元出身の若手として常に自身の考えを発信しています。神山が大好きだからこそ、これからの神山への想いが人一倍強い広岡さん。地元の人と移住者のちょうど真ん中にいる彼女に、お話を聞きました。

地元民と移住者を繋げる役割

──神山町出身ですよね。

広岡さん(以下:広岡) 神山町出身で、高校、大学、就職と徳島市内で過ごしました。
神山町の子は市内の高校に通うのが大変なので、下宿とか一人暮らしをする子は結構多いです。

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広岡さんの母校である、神山中学校の教室にて。

ただ、私は神山に帰りたかったんです。
そんな時に母から紹介されて、えんがわさんに入りました。
その後、WEEKの立ち上げにも関わらせて頂いて。

実はえんがわに入ってからですね。
神山町が色々な活動しよるっていうんを知ったのは。

それまでは何も…。
何をしよんだろうっていうのは、正直ありました。
実際、神山町に住んでいても、最近起こっていることを知らないっていう人は多いと思うんですよね。
メディアが取り上げて盛り上がっているのは、全体からすると一部分だけというか。

実際ITの企業さんにしても集中するのは神山町の中心部だけでしょ。
自分が住んでる所は少し離れてるんですけど、
正直誰も入ってきていないので、いつもと変わらずですよね。
神山にいながらにして、疎外感があるというか。

ただ、私はサテライトオフィスで働いていたこともあって、
ここで生まれ育った者として、視察に来た人とかから神山の取り組みについて聞かれることが多くて。
その時に答えれんっていうのは自分の中で嫌だったんです。
自分の生まれ育った町なのに、何も話せん葛藤というか。

─そう思ったのは何故なんですか?

広岡 取り組みが嫌だと思わなかったから。
今みたいにこうやって取り沙汰されていたら、色んな人が来るでしょ?

やっぱり、色んな人が来たことはすごい刺激になってるんですよね。
それは、おじいちゃんおばあちゃんにもそうやし、特に若い子にも。

そうなってきたら、古い考えだけじゃなくて、最近の変化とかを受け入れて、
時間がかかってもちょっとずつ視野が広がっていくかなと思ったんです。
そういうんが実際に見えたんで。

─見えた。

広岡 そう。田舎の人って、知り合い同士だったら深いコミュニケーションを持とうとしますよ。
でも、知らない人には田舎特有の反応をするというか。
「え、誰?」みたいな。

でも、こう視察の人が来たりとか若い子が来たりしてても、初めは抵抗あったかもしれんけど、段々と打ち解けてきたりとか。
そういうのが見えたんです。
田舎の人でも、協力したり関わりたいと思ってる人は実は多いんやな、って。
田舎の人ってお節介だから(笑)。

でも、神山の中心部で起きているいい変化が、そこだけでとどまっているのは勿体ないと思うんですよ。
巻き込もう、巻き込もう、って皆は口では言うけど、じゃあその為には何をするの? って感じなんですよ。自分がもどかしいのは。

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だから、例えば自分がこう地元の人にそういう取り組みを言うたりできれば、

小さい時から自分のことを知ってくれてるからこそ、ちゃんと話も聞いてくれるだろうし。
なんか頼むにしても、元々知っとる自分みたいなんが言うことによって、協力してくれると思うんです。

地元の人たちと外から来た人たちの間に立って、その両方を繋げるとしたら、お互いを知っとう人でないと繋げれんと思っとんですよ。
そういう役割に自分がなれたらなと思って。

帰ってきた時は何も考えてなかったです。
段々と今、自分がせないかんことがあるんじゃないかって責任感が出てきました。
ちょっとずつですけど。

田舎での暮らしが楽しかった

──そういう神山に対する思いはどういう所から生まれているのですか?

広岡 自分は小学校と中学校がすごい楽しかったんです。
男の子も女の子も仲が良くて、ドロケイしたり、基地作ったりとか(笑)。
いい思い出ばっかり。

自分は親が働いてたんで、じいちゃんばあちゃんとの思い出も多いんです。
田舎が好きな理由はそういうところもありますね。

私の周りの子たちも神山好きな子が結構集まってます。
旦那さんの仕事の都合で出て行ってしまったとかはありますけど、
皆残りたいって言うてます。

今でも年に何回かは皆で集まるんですよ。
2,3年前まではバレーボールのチームを組んで、皆で大会に出たりしてました。
練習するんは地元の体育館で。

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バレー部の練習を眺める広岡さん。自身も中学時代はバレー部に所属していて、
高校にはバレー推薦で入学したほどの腕前だったそう。

田舎の人って外に出たいっていう人が多いと思うんですけど、自分はなかったですね。
都会はたまに旅行に行くぐらいで住む場所じゃないかなって私は思います。
徳島市内に出ても空気は違うと感じますし、田舎の神山町の子と市内の子の考え方も、やっぱり違うんとちゃうかな。
これは私の感覚やけど、田舎の方があったかいです。思いやりがあるというか。

その時の楽しかった思い出があるからこそ、神山町のことがすごい好きだし。
だから、今、神山町を出たいって言ってる子どもたちにも神山は楽しいんだよってことを伝えたいんですよね。

現状出ていく人も多いんですよね。市内でないと学べんからとか。
大体そんなんですよ、都会でないと、なになにだから、って。

でも、今の神山は実際に都会と同じこと、むしろそれ以上にできる可能性があるじゃないですか。別に市内に塾とか行かんでも、神山でもできるよっていう何かを作ってあげんと。
神山で学べるんだったら、じゃあ神山おろかってなると思いますし。
いい人材がいっぱいいるんだから、それを活かさんのは勿体ないと思う。

神山の素晴らしさを子どもたちに伝えたい

──町に対する広岡さんの取り組みも教えてください。

広岡 一つは、今回のホームページ制作へ関わらせていただいたのが、すごくいいきっかけだと思いました。町に対しても、自分がどうしたいこうしたいっていうのが言えるので。

そうやって若い子の意見を聞いてくれる所を作ってくれてるんは、ホンマにいいことやなって。
そういう場を作らんかったら、言えんでえね。
私はそういう場があるんだったら、どんどん発言していきたいんです。
裏で言うたところで何も変わらんし。

他にも、これはまだ1回だけしか開いてないんですけど、役場の若い子と移住者の若い子、20人くらいで交流会みたいなBBQをしたんですよ。
普段、話す機会がないんだったら、自分が作ってあげればいいと思って。
お互いを繋げられるように。

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勿論、初めて会う人たちもいましたよ。
でも、1回こうやって集まって、ご飯を一緒に食べたり、お酒を呑んだり。
何でもいいと思うんですけど、一緒におれば打ち解けるんですよね。
自然と会話も生まれるし。
周りにそういうネットワークが広がっていったらね。

初めは人数少なくても、段々楽しい場所になればいい。
すぐに良くなるとは思ってないんです。
時間がかかるものだと思ってるんで。
1年2年でもいいように変わるとは思ってません。
10年、20年かかっても、やらな始まらんし。

あと、今「とくしま県民活動プラザ」っていうところで働いています。
NPOやボランティア団体の支援とかサポートをするようなところなんですけど。

なんでそこを選んだかというと、
実際、まだまだ自分自身がNPOのことも町づくりのことも分かってないことが多いので。
分からんままでは自分も話はできないし、そこで学んでいこうかなって思って。

今、自分は神山の子どもに対して何かできないか、っていうのをやっぱり強く考えています。
実際子ども向けのイベントとかが県内では色々あるんですよ。
そういうのとかに関わって、子どもが何に興味を示すんかなっていうんを自分も知りたいし。

子どもって勉強とかじゃなくて、自分が実践的になんかをするんに興味があるじゃないですか。
だから、勉強以外で子どもたちが神山でしかできん事を作ってあげたらいいかなって。
無理矢理やらすんじゃなくて、興味を持つことを作ってをあげたら子どもって集まるし。

ただ、やっぱり知識がないとできないじゃないですか。
だから、今回やっぱり「とくしま県民活動プラザ」の中で多少仕事をさせてもらって、実際に活動している人たちと触れ合って、色んな意見を聞いて、知識をつけていってから行動していきたいと思ったんです。

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──今はいい準備の期間。

広岡 はい。自分が楽しかった神山を今の子どもたちにも体験させてあげたいし、
そういう機会を作ってあげないといけないと思います。
その為の準備です。

やっぱり中学校まではおってほしいんです。
その方が町に対して愛着を感じると思うんです。
神山で生まれたとしても、幼稚園で町外に行ったりすると、
地元を神山とは言ってもらえないじゃないですか。

それは、自分がそうだったから。
中学校まで行って、気の合う仲間と出会って、それだけの愛着心が持てたっていうのが。

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「女の子らしい遊びはあんまりせんかったね」と語る広岡さんもよく遊んだという神山中学校の運動場。
後ろに見える山は、通称『象山』。たしかに左側に鼻を伸ばしているように見える。

だから、今の子どもたちにもそうなってほしいんです。
地元出身とか、移住者とか関係なく。
実はすごい長い目で捉えているんですよ。
今、来た移住者の人の子どもたちは、もう神山出身ですもんね。

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