神山町 kamiyama-cho

神山はいま

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神山町で過ごした学生生活を振り返って「ずっと見守ってくれているのが分かるから、神山に帰ってきたくなる」

令和5年 3月10日

城西高校神山分校が「城西高校神山校」に生まれ変わってから、2期目の卒業生が3月に学舎を旅立ちます。その中には、神山校・初年度のオープンスクールを見てから入学を決めた地元、神山中学校出身者が7人もいます。

まちの高校で新しい校風が作りあげられる中、過ごした地元での青春。「この学校に来たから、夢を忘れずに済んだ」「あっという間だった。卒業は寂しい」という気持ちだそう!

6人のうち、左から佐々木崇善(たかよし)さん、竹田凌(りょう)さん、影紗那(さやな)さんの3人にお話を伺いました。

インタビュアーは、神山校の社会人講師として、彼らの授業を2年間、受け持ってきた神山つなぐ公社の秋山千草さん。そして、彼らの入学直前まで、神山校創造期を担った、元教員の松田一輝さん(現・神山町役場総務課)です。

秋山)いよいよ卒業だね。中学3年生の時、神山校のオープンスクールに来たのを覚えてる?

竹田)神山中学校3年の全員で来たよね。理科室で、料理みたいなことを色々やってたのを覚えてる。(※フードハブ・プロジェクトの笹川大輔さんと、当時、理科教員だった松田さんがコラボ!生徒が自分で考えてパンを焼くプロセスの中で「発酵」を学ぶ理科実験の公開授業をしていました。)

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秋山)オープンスクールのことも含めて、当時の神山校のイメージはどうでしたか?

竹田)正直言っていいかな?第一印象は、ホコリっぽい(笑)。実習棟の方は、杉を扱うから、花粉やホコリもあったりして。花粉症やハウスダストのアレルギーのある僕には、ここは無理かな、と思ったんです。でも、パンの美味しそうな匂いもしていたし、フラフープの体験が面白そうでもあった。(※体育館では、フラフープを数人のグループみんなで協力し、指一本で持ち上げるというオリエンテーションも行いました)

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佐々木)フラフープは、覚えとる。みんなでやったよね。その時、「この学校、俺、いくかもしれんな」と感じた。俺の住んでいる上分は、どこに通学するにも遠いから。

影)中3の時は、市内の大きい学校に行ってみたい、神山から出てみたいという気持ちもあった。でも、5教科の勉強は好きではなかったから、普通科には行きたくなかったし、進路指導の面談で、「普通科に行きたくなくて、将来の夢が決まっとんだったら、高校から、造園のできるところに行ったらどう?」と言われて。最初、勝浦校の園芸福祉の学科を第一志望にしとったけど通学面できついな、と考えて、第一志望がここに決まりました。

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秋山)当時から、夢は決まってたんだ。

影)はい。小4の時から。庭師になりたいんです。神山中学校での立志式でも、発表しました。父が水道の配管工の会社をしていて、基本的に、仕事とるところから、仕事行って、作業して、事務も1人でやっている。1つのことをこれだけ極められる人ってかっこいいなと思って。

秋山)おお。早い時期から。竹ちゃんは、なんで選んだの?

竹田)最初は、市内の高校を選んでいたんです。でも市内だと、寮に入るか、バスか自転車での通学になる。大変だから、近いところでいいじゃないかという感じです。普通科での勉強も、あまりしたくなかった。進路指導でそんなことを先生に話していたら「お前、勉強したくないなら、神山校はどんな?」と言われて。

秋山)そういう背景で入ってきたんだね。高校での3年間で印象に残ったことはなんですか。教えてください。

影)うん。こんなに自分たちで考えて動く学校なんだって、最初は思ってなかった。中学生の時は、先生に指示をされて動くということがほとんど。けど、ここでは、課題研究、神山創造学とか、自分たち主体になることが増えたなぁ。

秋山)自分たちで考える機会はどうだった?

影)私は中学時代まで、クラスでも中心になって、みんなを引っ張るポジションではなかった。だから、最初は「自分じゃ、できんな」と思っとった。でも、やっていたら慣れてくるし、動き方もみんなもわかってくる。周りの協力もあって、スムーズに動けるようになったかも。

竹田)僕も、静かな高校やなと思ってたけど、入学してからは、森林女子部やまめのくぼの開拓などを見て、「生徒が活発に行動するんだなぁ」とイメージが変わりました。僕らのクラスも良かったよね。神山創造学の授業が始まってから、お互いにもっと深い話をするようになって、みんなの得意不得意やそれぞれのペースがわかって、補いあえるようになった。だから、造園とかの専門的な授業でも、みんなでカバーするから作業が早くなって、先々のことを考えて行動できた。

あとは、創造学の講師が梅田さん(※)だったのも良かった。梅田さんって、「ここは、どうしてそう考えたの?」とか深くまで質問してくる。あとで聞かれて対応するのが面倒臭いので、先周りして自分たちで深く考えるようになった。この学年は、説明することを諦めるのではなくて、「しっかり自分の考えを説明できる人」ばっかりになったと思うなぁ。(※神山つなぐ公社から社会人講師として神山創造学を担当している梅田学さん)

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秋山)卒業後のみんなの進路を聞いてみたいな。

竹田)僕は自衛隊に行きます。人助けしたいとか立派な理由はあると思うんですが、自衛隊・公務員を選んだ理由は、安定しているから。ここまで、3年間、僕のことを分かってくれている先生たちが、丁寧に進路について考える機会があるのって、高校までだと思ってる。だからこの進路を大事にしたい。

佐々木)俺は、農業大学校に行きます。理由は、家が椎茸やスダチ栽培をやっていたから。今はやっていないけど。小さい時にすだちをコンテナに入れる手伝いもしていた記憶もある。農業大学校で椎茸のことをやってみようかなと思ったんですけど、今は(農業大学校では)、椎茸はやってない。じゃぁ、俺、そこいって(新しく)椎茸をやってみようかな、と。

秋山)農業やってみたいというのは、いつ頃から強く思うようになったの?

佐々木)神山校に来てから。授業で農業やってみて。2年の夏休みに4日間、椎茸組合にインターンに行ったんです。そこで、興味を持った。神山校に来てなかったら、そういう思いはなかったかな。自分は絵を描くのが趣味だったから絵の方の道を目指したと思う。

秋山)小さい時の体験と、神山校での体験が重なった?

佐々木)椎茸組合で、椎茸をパック詰めした時に、家での椎茸作りの思い出と結びついた。神山校が農業校だったから、ここに来た時から、進む道に「農業」という選択肢はあったけど。

秋山)なるほど。影さんはどう?

影)大学に造園を学びに行きます。お父さんは私が本気で庭師になると思ってなかったらしくて、「ほんまに行くんか?」と言われた(笑)。卒業後、何年かは普通に造園会社に弟子として色々なことを教わって、一人前になったら、お父さんといつか一緒に現場を持ちたいと思っています。

松田)卒業後の進路は町外になるけれど、みんなの目には、今の神山町ってどんなふうに見えている?

竹田)よくいうならば、ちょっとずつ店が増えて賑やかになっているというイメージはあります。まるごと高専もできるし、もっと賑やかになるだろうなと思う。悪い方で見ると、一つは騒音問題。盛り上げていこうってイベントごとがあって、いいなと思うんだけど、じいちゃんばあちゃんにとって慣れない大きな音が、町に響くことがあるのはちょっと残念。それから、交通の便が良くないのは残念。同級生が市内で遊んでいる投稿がインスタで上がってくる。行きたいけど、山の僕たちは、限りある便数でバスで市内へ降りて行かないといけない。夜は7時のバスじゃないと神山に戻って来れない。そこは、住みづらいな、と思ってる。

松田)納得やなぁ。

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佐々木)自分は、いいところは人が優しいところだと思ってる。いつも、自分は(神山校前の)「ショップかたやま21」の前でバスを待っているんですが、その間に、お年寄りが、たまに話しかけてきてくれる。バスの運転手さんとも、よく話すんです。この前は運転手さんに「(卒業したら)どこいくんで?」と聞かれたので「農大っす」と答えて。「免許どうするんで?」とかいろいろ話した。この運転手さんとは、もう小学校の通学バスからずっと一緒で、よく話しかけてくれる。でも3月で町営バスがなくなるんです。うん。神山の残念なところは、やっぱり、上分は、交通面で、困るというのが一番かな。

影)小学生の時は学校の行き帰り、すれ違う人はみんな知っとる人で「おかえり」って話しかけてくれた。ずっと見守ってくれているのが分かるから、神山に帰ってきたくなる。玄関先に野菜がおかれとったりとか、近所繋がりが濃い町。でも、最近、町外から移住してくる人が増えて、活気が出てきたのは嬉しいけど、すれ違う人が半分以上、わからん人になったのが寂しいなぁ。自分が小学生の時にすれ違っていた人は、今はお年寄りになって出歩く人も減った。「大きくなったなぁ」「おかえり」というのが聞けなくなったよね。今、よく歩いているのは、町外からきてくださった若い家族。でも、その人たちは挨拶をしても返してくれないのが寂しい。

秋山)挨拶というものに、大人の方が慣れていない感じなのかな。

影)よそよそしい感じ。そこは、寂しいなと最近すごく思います。4年後、帰ってきた時に、もっと知らない人が増えているだろうな。でも、いい文化は、いいままで、残っておいて欲しいなぁと思います。

松田)ふるさとの高校に入った3年間は、どうでしたか?

佐々木)入学前は、ゴリゴリ農業系の学校だと思っていた。でも、神山創造学でSansanとか、色々なところに行ったり、フィールドワークしたり、幅が広かった。俺は、絵が趣味なんで、絵のことを課題研究にして3年の1年間、みっちりやることができた。楽しかったですね。思ってたより、楽しかったなぁ、時間過ぎるん、早かったなぁって思う。卒業する嬉しさよりも、学校に来るのがあとちょっとになった寂しさの方が強い。

影)中学校3年生の頃には、思い描いていなかったことがたくさんあった3年間だった。チェーンソーを持って山に入って木を切る、薪割りをする、とか(笑)。新しいことをたくさん知ることができた。普通の高校進学校に進んでも楽しかったと思うけど、普通科に行っていたら「庭師」っていう夢は諦めて、違う道に進んでいた。この3年間、常に庭のことを授業で学べたので、この学校に来たからこそ、夢を諦めずに済んだと思う。

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松田)僕が神山校に初めて赴任してきた時(※2016年)の生徒たちは「この学校には、本当は来たくなかった」って言っていた。市内からは遠いし。そういう子たちの話に、何人かいた神山出身の子たちも「そうやな」と返事していたような雰囲気だった。僕がおった4年間の中でも年々雰囲気は変わってきている、というのを感じていたけれど、今日、みんなの話を聞いて、その後もまた大きく変わったんだな、と感じました。その変化に、創造学が関係しているコメントもあって嬉しくなりました。

秋山)私は、2~3年の2年間を一緒に過ごしたけれど、それでも、知らない話をたくさん聞けた。本当に、いい学年だったと思う。3人に限らず、同級生同士で、深い話をして、今があるんだなと思った。この学年がいなくなるのは、とにかく寂しい。自分の軸がしっかりある人たちがいっぱいいる、神山校の大事なメンバー。卒業は寂しいけど、離れても、みんなが戻ってこられる場所や機会を作りたいな、と思いました。ありがとう!

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