神山はいま

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大和合金・若手社員に聞いた神山での暮らしと働き方
「生まれてから神山にいて、風景も見てきた。だからこそ、大事にしますよね」
「会社も神山も子育てしやすい。だから、ほんとうに僕はいい環境にいると思う。」

令和4年 1月 7日

神山には、日本随一のアルミ鋳物(いもの)技術を誇る工場があるって、ご存知でしたか?実は、町内でもあまり知られていないこの事実。新幹線のステップにも、東京駅前の新丸ビル外壁にも、神山町で作られた鋳物が使われているんだそう。あなたも、東京や大阪のあの場所で「神山町産」に触れていたかもしれません。

今回は、「株式会社 大和(ダイワ)合金」徳島工場(神山町阿野)にお邪魔しました。

大和合金は大阪にあった町工場が前身。阿川地区出身の方と結婚した先代社長が、そのご縁で「徳島工場」を開業し、さらに新しく「神山工場」も近くに開設したという経緯があります。

お話を伺ったのは、阿川出身の若手主任、尾﨑由昌(おざき ゆうすけ)さん。さらに、大阪から石井町を経て神山町へ移住された湯淺正祥(ゆあさ まさよし)さん。尾﨑さんのお父さんで、2代目社長のもとで、徳島工場を育てて来られた尾﨑巧典(おざき よしのり)専務にもご一緒いただきました。

—「大和合金」とは、どんなご縁があったんですか?

尾﨑由:ぼくは阿川小学校から神山中へ、そこから城西高校神山分校で造園を学び、卒業してから農業大学校で農業を学んだあと、大和合金へ入りました。

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この工場の下の道は、阿川小学校時代の登下校道。行きも帰りも、この工場が当たり前にあって。「キリコ」という、ドリルでアルミを開けた、ねじねじのものが道に落ちているんです。珍しいので、家に持ってかえっておもちゃにしていました。今でも、工場でキリコを見たら、小学生当時を思い出して何とも言えない気持ちになりますよ。

父だけでなく、ばあちゃんも、ここに勤めていて。学校帰りに工場の中に入って、ジュース買ってもらうのが嬉しかった。最初に、ここの仕事を手伝ったのは、高校生の時ですね。学校が週休2日になって時間ができたときに、父(尾﨑専務)に「アルミこすりにくるか?」って言われて。アルバイトで、土曜だけ手伝うことになりました。

—親子3代で勤めていらっしゃるんですね。

尾﨑巧:はい。最初、母は、ここの工場ができたときに食堂で働いていました。私も、子どもの時から、よう遊びに来とってね。先代社長に、ポケットから、よくお小遣いをもらっとったんです。子どもの時から、もう教育されとったんですかね。就職先を決める時に、先代社長に「ここで働かんか?」と誘われました(笑)。
とにかく、社長は神山を大事にしてくれましたよ。真っ暗だった道に外灯をつけて寄付してくれたり、町のためになることを考えてくれていました。

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—そして、尾﨑さんの息子さんもまた...。

尾﨑由:農業大学校を出たあと、就職先を考えたときに、思ったんです。造園となると就職先は、京都など、どうしても県外になってしまう。一度就職したら転職することは全く考えていなかったので、県外で就職したら、と想像したんですよね。そうしたら、県外で人生のほとんどを過ごすことはあまり考えられなくて。それで、最初はここでやってみようと思って就職しました。

僕が今は「尾﨑主任」なんですが、僕が入社した時は、ばーちゃんが「尾﨑主任」で、現場にいました(笑)。

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湯淺:すごいなぁ。

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アルミを流し込む型を製作中の尾崎由昌さん

—いっぽうの湯淺さんは、大阪の大都会で育ったとか。

湯淺:はい。大阪のど真ん中で育ちました。調理師の専門学校に行って調理師になり、嫁の実家が神山町で、徳島に移住しました。店を出すのが小さなころからの夢で、石井でイタリアンレストランを開いて嫁と2人でやっていたんです。でも、子どもができて、1人では店が回らなくて、店を閉めようというときに、尾﨑さんに誘われたんです。

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尾﨑由:湯淺さんの奥さんは僕の同級生なんですよ。湯淺さんのレストランは、美味しかったんです。僕は常連だったんですが、お店閉めることを聞いて「うちに1回、見にこんでー」って、誘った。堅苦しい感じの会社じゃないから、来て見て合うか合わないかは本人次第って(笑)。

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湯淺さんのレストランで、誕生日を祝った際のようす

湯淺:それで、ここに来てみたら、居心地がよくて、そのまま入社しました。今は、溶けたアルミを運ぶ担当をしています。

尾﨑由:たいへんなところを担当してもらってるよね。

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タンクにて高温に熱されるアルミ

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熱されたアルミを型まで運ぶ様子。重量もあり大変な場所ですが、チームワーク良く作業を進めています。

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広野倉目の神山工場にて、アルミを流し込む作業中の湯淺さん

湯淺:でも、ホテルなどの厨房と同じで、みんなで一緒に何か作る、というのは、楽しいですね。入社して、ええことの方が多い。神山は、子どもの人数が少ないから、学校のPTAの役回りがすぐ来るんですが、子どもの行事でも、休みやすいんです。平日も土日も気兼ねなく、嫌味もなく、いやなプレッシャーもなく、休める(笑)。

尾﨑巧:緩すぎるという人もおるけど、アットホームっていうんですかね(笑)僕らが若い時は毎晩残業10時ぐらいまでしとりましたが。

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—専務の時代とは、かなり雰囲気が違うんですね。

尾﨑巧:もともと徳島工場は、先代社長が、林業や農業から職種替えした町の人を雇って始めた工場やから。みんな、役職でよばんと、お互いをあだ名でよんでいてね。そういうところから始まっていたので、「町工場」から「企業」、「組織」にするぞ、という気持ちが強かった。わたしは25歳で課長になって、30歳で常務になって負けん気で頑張って働いた。若い時に、小さかった息子を日曜日に抱っこしたら泣くくらい、子どもにも関わってなかったなぁ。今と、ぜんぜん違う。

尾﨑由:そのおかげで、今は、企業の形ができていて、仕事も進化したよね。きちんと仕事の流れができているから、自由度高いし、だから休みやすい。専務の時代から工場の風景も近代化したね。

湯淺:「これやりたいんですけど」といったら上の人は「じゃぁ、やってみー」となる。働きやすいですよね。

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—都会生まれの湯淺さんにとっては、神山はどんな印象ですか?

湯淺:大阪は、歩いて、どのコンビニで買おうかってコンビニを選ぶくらいだったんですが...。神山には、1つしかない(笑)。

尾﨑由:いや、これでも、1つ、できたんでよ。

湯淺:うん...(笑)。しかも、嫁の実家が、格別、神山の中でも山の上で...。いきなり大阪から神山町に移住していたら、ビックリしていましたよね。レストラン開業していたときに一度、石井町に住んでいたので、まだショックが小さかったかな。

でもね、嫁と最初に生活したのは、神戸・三宮の駅前。あそこでは、絶対、子育てできなかったと思いますね。時間の流れが、神山は、ゆったりしているんです。会社も、神山も、子育てしやすい。だから、ほんとうに僕は、いい環境にいると思う。

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—「子育てしやすい町」と「子育てしやすい会社」、両方そろったんですね。いっぽうの尾﨑さんは、一度も、神山を離れようと思わなかったんですか?

尾﨑由:生まれがここやからですね。離れようとは思わなかった。「神山町」という存在は、自分の中では大きいです。神山の風景を見ている。だから大事にしますよね。

—では、今、町がいろんな風に変化していっているのを見ているのは、どんな気持ちですか?

尾﨑由:そりゃ、嬉しいですよ。ただ、神山が変わったとはいえ、寄井とか、町でも「都会」の方ですよね。会社のある阿川地域は、静かで変わらないけど。保育士をやっている湯淺さんの奥さんもそうやし、「山びこ」の店長など、ほかにも地元に残ってやっている同級生も何人かいて、心強いです。

それから、町の変化と言えば、うちも、「つなぐ公社」さんともつながって新しい展開が始まっているんです。

尾﨑巧:阿川の人が、町民町内バスツアーで「大和合金に見学に来たい」といってくれて。興味深そうにみてらした。いままでは、工場の中に町の人が入ってくることはなかったから、嬉しかったですよ。

—ずっと工場はあるけれど、町の人にはあまり知られていないんですか。

尾﨑巧:そうなんです。実は、鋳物業界の中でも、うちの技術はとても評価されているんですよ。他社からも「こういう時に、どうしたらいい?」と相談されるくらい。とても価値のある仕事をしていると、うちの社員にも知っておいてほしいですよね。

湯淺:専務のいうことは、分かります。

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—阪急電車の先頭につけるマークも、製品としてここに置かれていますが...。

尾﨑巧:世間で見かけるものを、神山でいっぱい作っています。新幹線700系の入口のステップなんかは、全部、うちですね。帝国ホテルなど有名ホテルのドア、新丸ビルのグレーの外壁...。テレビ見ていたら「あ、うちの製品や」とよく見つける。梅田の阪急百貨店がリニューアルした時の鳳凰も、ここで鋳造(ちゅうぞう)しました。わたし、イタリア・ミラノの家具見本市「ミラノサローネ2019」に呼ばれて、砂型アルミ鋳造のデモンストレーションしたんですよ。その時のイタリア人の弟子と今でもLINE友達です(笑)

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これまで製作されてきたサンプル品、関西の方にはなじみ深いロゴマークも大和合金で製作されたもの

—ここでそういうものが作られているって、町の人は知ってますか?

尾﨑由:知らないよね(笑)。そういうPRもしていないから。でも、もっと知られてほしいとは思います。最近、はじめて、そういう方向を考え始めたところです。

最近、「イン神山」のHPに大和合金の求人を載せてもらったんですよ。そうしたら、早速、問い合わせの電話がありました。「では面接いつにしますか?」って聞いたんですよ。「今、東京なので...」と返ってきて驚きました。こちらはてっきり徳島の人だと思っとったから(笑)。

移住者の人も、町内からも、「大和合金で働きたい」という声があったら、どんどん来てほしいですね。

湯淺:30代に来てほしいですね。子育て世代には、働きやすい会社だし。

尾﨑巧:技術もつないでいきたいしなぁ。

尾﨑由:うん。若い世代に来てほしいよね。これから、町の人たちにも会社のことを理解してもらえるよう、一緒になにかできたらなと思いますね。

半世紀を神山町とともに歩み、日本中のいたるところで、私たちの生活を支えている「大和合金」製の鋳造品。こんな身近に、そんなすごい技術が静かに継承されているとは!700系新幹線に乗車の際は、ステップを見て「あ!大和合金、神山!」と思い出してくださいね。尾﨑さんたち若い世代による今後の新しい展開にも、わくわくしますね。

※:やまびこの店長=寄井にある「めし処萬や 山びこ」の谷真宏さん。信頼し、尊敬し合う、神山育ちの先輩と後輩「できる限りサポートしたいし、頑張ってほしい」 | 神山はいま | 神山町役場 (kamiyama.lg.jp)
※:「つなぐ公社」=神山町の創生戦略「まちを将来世代につなぐプロジェクト」の実現のため2015年に設立された一般社団法人。
※:「町内町民バスツアー」=「最近、神山町がメディアで取り上げられているが、町内の動きが分からない」といった声から企画された町民のための町内をめぐるバスツアー。これまで60回以上開催。

 

撮影:生津勝隆 
インタビュー・編集:中村明美

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