神山町 kamiyama-cho

神山はいま

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神山つなぐ公社・新旧代表理事が考える、まちのこと
「元気な集落が増えていくと、すごく豊かなまちになる」

令和3年 6月 2日

2015年12月に生まれた神山町の地方創生戦略「まちを将来世代につなぐプロジェクト(通称:つなプロ)」。このつなプロをスピード感と柔軟性を持って実現していくために設立されたのが、「一般社団法人 神山つなぐ公社(以下、公社)」です。設立から5年の歳月を経て、2021年4月に杼谷学さんから馬場達郎さんへ、代表理事のバトンが渡されました。今回は、鮎喰川コモンの象山テラスにて、おふたりが互いに質問をしていくかたちで、インタビューを行いました。

馬場:つなプロがはじまって5年が経ちましたが、神山町の状況をどのように感じていますか?

杼谷:つなプロが計画される前、2010年あたりから、サテライトオフィスや神山塾とか、グリーンバレー周辺の新しい動きが起こりはじめて、まちに若い子の姿がちらほら見えるようになった。その人たちと話をしていると、若いエネルギーっていうか、自分でやってみる力を感じたし、さらに地元の人と重なり合って、課題解決に向けて一歩前に動き出したっていうんが大きかったなと思いますね。

5年間というよりは、10年前から動きがあったものが、いま、うまく回りはじめている気がする。それに輪をかけて、役場も力を合わせていったっていうのが、新しい流れなんじゃないかな。

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馬場:2015年に神山町で地方創生を取り組むことになって、当時どんなことを考えていましたか?

杼谷:2年間かけてつくった総合計画※2がなかなか動かないまま、数年間経って、「地方創生の戦略をつくるときも同じやりかたではダメだ」と思ってた。そんなときに、西村さん※1と別の仕事で出会って。いままでになかった方法ができるかもしれんなと思って、"一緒に考えてくれませんか?"と。

馬場:従来のやり方とは違う感じで進んでいるなっていう手応えは?

杼谷:ワーキンググループ※3では、参加者同士の新たな関係性からさまざまなアイデアが涌き上がってきました。これまでは、いいアイデアが出てきても、実際にできることは少なかった。でも、実行できる人が生まれたっていうのは、良かったんちゃうかな。

馬場:その後、役場から公社に出向するって決めたわけですが、当時の様子は?

杼谷:やっていくなかで、「公社は何なのか?」「二重行政ちゃうんか?」「もっと広報で知らせたら?」みたいな話が各所から寄せられて、最初の3年ぐらいは、公社を知ってもらうために、バスツアー※4や地元の説明会とかに、できる限り出向いて、まちの動きを話すようにしました。いまだに、十分とは言えないかもしれんけど、つなプロ報告会※5を開いて、何をしているか説明をして、実績をつくっていくことが大事なんよね。

馬場:目に見えるかたちで?

杼谷:2026年に3000人を下回らない人口の維持や均衡ラインを目指しとって、大埜地の集合住宅もそうやけど、まちの中に人がいて、新しい動きがあって、可能性を感じられるような状況をつくるんが目標なので、それを意識していましたね。

僕はずっと神山でおるけん、地元の人や知っとる人が「お前がしよるけん、応援しよるんぞ」と信頼してくれる。生涯現役応援隊※6で話をしたときは、「役場の人がこんなに頑張ってくれとんやったら、安心したわ」って言われたんよ。役場の職員がひたむきに前を向いてしよることが伝わったけん、そういう言葉をもらえたんかなと思う。自分の姿がまちの可能性にも映るんやなって嬉しかった。

そのとき、とにかく一生懸命せなあかんなって思った。特に、役場の職員はあきらめてはあかん。「あれはできん」とか「決まっとって変えれんのよ」って言うたら、相談してくれた人にとってはすごいショックで、こうしてほしいという気持ちを、誰かのせいにして拒んでしまうっていうのは、良くないなって思う。結果的に"仕方ない"というのはあったとしても、一緒に考えていかんとな。

馬場:特に印象に残っているシーン、または、プロジェクトは?

杼谷:いっぱいあるよ。集合住宅は、設計図面ができ上がったときに、これはおもしろいものができるなと思ってワクワクしたのを覚えとる。エネルギー棟もあるし、子どもが敷地内で遊べたり、そのまま川に下りて行けるとか、新しいまちの可能性を感じた。

フードハブ※7も、アメリカやオーストリアへの視察もおもしろかったし、勉強になったな。

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(オーストリアでは、チロル州フリース村を訪問し、持続可能な自治体運営などについて考えを深める機会となった。2019年10月撮影)

馬場:当時の副町長が「何かしら絶対得られるものがあるから、行ってこい」って送り出してくれましたね。

杼谷:ただ行くだけでなしに、目的を持って行く。行ったからには責任を持って、良いものがあったら拾ってきて、数年かけてでも、少しずつ展開できるようにね。

馬場:得られたものはいっぱいありました。

杼谷:あとは、公社に来てくれたスタッフにも恵まれとった。それぞれに個性があって、みんな自分で考えて提案してくる。それぞれがやってみることに関しては、応援したいと思っていました。「神山に来て力を発揮してみよう」というスタッフのエネルギーに支えられたと思います。

ー続きまして、杼谷さんから馬場さんへの質問に移ります。

杼谷:入庁した10年前といま、神山や役場はどうですか?

馬場:10年前は、自分が中学や高校生ぐらいまで過ごした神山しか知らなかったし、グリーンバレーや移住の動きも全然知らなかった。まちを盛り上げるためにと思って帰って来たら、すでに盛り上がっていた。(笑)

杼谷:どんどん上っていくところやな。

馬場:そんなときに入って、いまに至るまでに、まちも大きく変わったし、自分も見えているものが変わってきたというか。まちで起こっていることが、壁一枚向こうのことのような感覚だったけど、いまは同じ神山として見えているところですね。

杼谷:2016年に県庁出向から神山に戻って、私の後任で総務課の企画調整係という仕事をやっていくことになったんやけど、どうだった?

馬場:"企画調整"とは誰が名付けたんか知りませんが、よう言うたもんやなと。企画とは違う、あんなにしっくり来る言葉はないですね。つまり"調整"の部分のボリュームが多かった。まあなんせ、どこにも属さない、新しいものが集まるところですから。

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杼谷:その上に、実践としてつなプロが動っきょるわけよ。5年間ずっと一緒にサポートしてくれて、役場側の立場として、いろいろ大変なこともあっただろうと想像しますけど。

馬場:最初からメッセージとしてずっと言よったんは、「つなプロは役場と一緒にやる」ということ。役場の気持ちが絶対に離れたらあかんなと、全体の動きを見て感じていた。そこを調整する役割を自分がやりたいなと思った。住民の皆さんに対しては、ちゃんと役場が関わっているんだと伝えていく。人によっては、そうすることで安心してもらえるし、声を届けやすいというのもあると思ったので、そういう気持ちでやっていましたね。

杼谷:代表理事になって約1ヶ月経ちましたが?

馬場:オフィスが変わったので、前半は落ち着かなかくて。公社の静かな環境は、役場とは全然違っていて、作業は集中できるけど、なんかこう座り心地が(笑)。でも、いまは、自分の与えられた役割である、つなプロ2期を円滑に進められるようにしていくことに取りかかりたいです。

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(まだ落ち着かない馬場さん、2021年4月撮影)

杼谷:これから5年間のビジョンはある?

馬場:5年後も若い人が関われる機会があると良いなと思っています。ちゃんと次の世代が育つ環境というのがまちにないといけないし、適切に世代交代が起こる必要があるかなと。続いていくものは、無理なくちゃんと続いていくようにしないといけないなとか。公社としては、将来世代が働きたいと思う職場であればいいなと。

杼谷:役場も一緒。働きたい職場になってほしいよね。実際、大変なことも多いんやけど、やりがいがあっておもしろい。若い子もおって、皆で助け合いながらいかななぁ。

馬場くん自身、神山に帰って来て、お子さんも小学生になって、これからの夢とかありますか?

馬場:子どもを神山で育てたいなというのがあって、帰って来ました。自分が小さい頃から、歩いていたら誰かが声をかけてくれたり、買い物に行くとその店のおばちゃんと話ができたり、世代を超えて一緒に遊んだりとか。ちゃんと地域で生きているという感覚があった。それはいまもずっと残っていて。ああ、ええまちやなと思ったし、それを子どもにも経験してほしいなと。

それにプラスして、いまの神山ってすごく多様で、子どもにとっては、いろんな世界が近くにあって、やりたいことをサポートしてくれる大人が周りにたくさんおると思ってます。それは、この5年ですごく感じたこと。

僕自身は、役場で一生懸命、働いていくんだろうなと。畑とか山とか、これまで上の世代の人や、父や母がしてきたことをそろそろ受け継いで、子どもたちやいろんな人に伝える準備をしていきたいと思っています。

杼谷:これからの課題は?

馬場:いっぱいあります。そのひとつに、地域の自治や地域の課題を解決できる組織みたいなものが、生まれてくるお手伝いをしていきたいと考えています。オーストリアに視察に行ったとき、山の中でも、幸せに生きている人たちを見てきた。"自分のまち"という誇りを持って、自分たちが気持ち良くいられるところを、自分たちの力で守っていくという仕組みをつくっていて。それを神山でも活かしたいと思っています。

杼谷:地域が元気になっていったら、ええなあと思うよな。

馬場:杼谷さんはどうありたいですか?

杼谷:いっぱいあるんやけど、仕事でいうと、住民の皆さんが安心して頼れたり、話ができる職員がいっぱいおったらええなと思う。そんな職員を育てていく、経験する機会をつくっていきたい。

あとは、小さい集落の自治こと。みんなで集まって活動して、環境を整えていく。僕が住んでいる大久保ではやっている。役場としても、集落からいろんな要望が寄せられるより、それぞれの地域が自立していることが何より。

馬場:そういう集落が増えていくと、すごく豊かなまちになりますよね。

杼谷:それぞれが暮らしている場所で、地元の人と新しく移り住んで来た人、そして、住んでいなくても関わりを持ちたいと思っている人、いろんな人たちと一緒に盛り上げていきたいなと。そういう活動がこれからの自分の人生の大部分を占めていくんだろうなと思います。

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このまちで生まれ育ち、大人になり、神山町役場で勤め、神山つなぐ公社に出向することになった杼谷さんと馬場さん。課題はたくさんあるものの、まちの人たちと真摯に向き合う誠実さや、未来を見据えて一歩ずつ進んでいく力強さ、そして、ふたりの抱くまちへの深い愛を感じられるインタビューとなりました。

※1 神山つなぐ公社設立時より理事を務める西村佳哲さんのこと。
※2 平成23年に制定された町政運営の指針となる「第4次神山町総合計画」のこと。
※3 地方創生戦略を考えるにあたり、役場と住民が一体となって行われた会議。
※4 「行ってみたいけど、行く機会がない」という町内および出身者を対象に、マイクロバスで現地を訪れる『町民・町内バスツアー』のこと。
※5 定期的に行われている「つなプロ」の町内・町外報告会。
※6 鬼籠野にて居宅介護支援事業を行う、NPO法人生涯現役応援隊のこと。
※7 神山町役場、神山つなぐ公社、株式会社モノサスが共同で立ち上げた神山の農業を次世代につなぐための会社。正式名は、株式会社フードハブ・プロジェクト。

撮影:生津勝隆、編集:高瀬美沙子

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