神山町 kamiyama-cho

神山はいま

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誰かの居場所になってきた自動車整備工場
「よそから来たとか関係なしに、気が合うて、おもろかったらいい」

令和3年 3月24日

神領にある自動車整備工場『神山モータース』は、今年で創業60年。毎日いろんな人が行き交い、混じり合い、ただの自動車整備工場とは、少し様子が違うようです。今回は、神山で生まれ育ち、『神山モータース』を営む栗尾髙茂さんと和夫さん親子にお話を伺いました。

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インタビュー当日は、平日の午前中ということもあり、和夫さんは先客の方の車を整備中でした。まずは、お父さんの髙茂さんから。神山モータースの成り立ちは?

髙茂:店をするようになったんは、昭和37年じゃったと思う。これにたどり着くまでは、いろんな仕事してきた。最初は、中学校出てすぐに、徳島市内の鏡台を製造しよる木工屋で住み込みで働いた。一年半勤めて徳島にも慣れてきたけん、もう自分が好きなことをしようと思って。

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—自動車だと思った理由は?

髙茂:こまい時から自動車は好きやった。たまに神山にもトラックやが荷物積みに入ってくるんよ。ほの頃は、車はわずかしかなかった。商売人もみんな自転車っていう時代だった。

—そんな時代に、自動車がこれから来ると思った?

髙茂:ほの時は、これがうまいこといくや考えてなかった。好きじゃけんしてみようかと思うてしかけたんが、元々じゃ。この店をはじめた時も、ほんまに仕事がなかった。バイクがやっと流行りかけたときやったんよ。

車の整備を終え、息子の和夫さんがやってきました。

—お父さんの昔の話や神山モータースの成り立ちを聞いてたんです。

和夫:昔は、学校(城西高校神山校)の前にあったんよね。こっちは何年に移ったっけ?

髙茂:平成7年。移転前は軽四とバイク中心で、ほれも数がしれとったわ。隣に『いちのや』っていう、うどん屋があったんよ。お酒が好きな人は修理に来て「直すんは、あとでいいわ」って言うて、先に飲みに連れて行かれた。車売りに行っても、お酒飲まなんだら買うてもくれへん。お酒は好きでなかったんやけど、飲みもって商談がはじまる。

和夫:小さい頃は、お客さんが来たら、よう『いちのや』まで呼びに行かされた。あとね、夏はうなぎ捕りに行って、秋は松茸穫りで、親父が工場におらんのが当然だった。

—和夫さんが、このお仕事をやろうと思ったんは?

和夫:一人っ子で長男でしょ。自分の家がしよったら、そうなるでしょ、自然に。自動車会社に7年勤めて、こっちに帰って来た。はじめは、親父と度々けんかしよったよ。それぞれやりかたが違うから、ああじゃ、こうじゃ言いながら。

髙茂:いまは、けんかはせん。ほら仕事しよったら、文句言うとるかもしれんけど。お客さん来てくれたら、若い衆に行けって。

和夫:もう若ぁないんやけど(笑)。わしは車担当、親父は飲み担当。

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—和夫さんの学生時代の印象的な神山のエピソードは?

和夫:高校生ぐらいまで、道路を馬がなんか引いて走っとったんよ。

髙茂:馬は、材木出すためのトラックの代わり。電柱ぐらいあるような長い木は、馬でみんな行っきょった。

和夫:高校生の時、徳島市内の友達が家に遊びに来てたんよ。その当時でも、みんな神山のことを「田舎、田舎」言うて、バカにされとったん。そのとき、何か嫌な予感して。遠くから「パッカ、パッカ、カシャカシャ」って聞こえてきた。もしやと思ったら、馬が家の前を「パッカパッカ」って。友達みんな口開けてな…。しばらく声出なんだもんね。(笑)

—いま来る?みたいなタイミングですね。

和夫:まあ、次の日学校行ったらみんなに次々言われる、言われる。それまでずっと「田舎もん」って言われて、こっちは「徳島は全部一緒や」って思っとんのに(笑)あれは、いまだに覚えとる。

—昔と比べて、神山は変わってきましたか? お店に来る人とか?

髙茂:徐々に変わりつつあるけど、ほんなに関心を持って考えたことはないな。

和夫:移住者は増えましたね。こっちへ帰って来てすぐの頃のお客さんは、お年寄りばっかりで。会話っていうたら、農作物の成長のこととかやった。それまでの会社は、若いお客さんばっかりで、ほんな会話なんかしたことなかったから「えっ、どうしよう?」って。仕事が終わったら、すぐに元の会社に遊びに行って、「助けてー、年寄りになってしまう」って。ほんでも、ほれからすぐに若い子が集まってきたんか?

髙茂:徐々にな。

和夫:一時期は17時になったら、ここ(工場)に車並んびょったもんな。若い子が、仕事終わって、うわーっとここに集まってくる、用もなく(笑)。いま40前後の子たちが。

—修理だけじゃなくて。

和夫:修理もあったんやけど、遊びも。ここでたむろして。「うちコンビニちゃうぞ」って、当時コンビニもなかったけど(笑)、あんまり大きな声で言うたらいかんのやけど、“走り屋”っていうやかましいやつらばっかりで。

髙茂:ようけ来よったな、あの頃は。ブンブンいうんが。

—それが何年前ぐらいですか?

和夫:20〜25年前あたり。

髙茂:あれがあったけん、いまだにつながっとるなぁ。

和夫:ずっと、つながっとるなぁ。ブンブンいよったメンバーが。まあ、みんな、おとなしい車に変わったけどね。

—やんちゃな時代ですね。でもここがそういう居場所というか。

和夫:居場所だったんかな。みんなでコーヒー飲みながら。ほのメンバーの残りがいまだにバイクに乗ったりしよる。いい歳こいて、みんなでバカ言いながらね。一時期、若い子が増えたけど、結婚して市内に出たりとかで、また暇になったと思ったら、若い移住者の子が来てくれたり。変な感じやな。

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—私も含め、いまは新しく住みはじめた人たちもお世話になっています。神山で育った人じゃなく、移り住んだ人たちが来とるっていうのは、どんな感じがしていますか?

和夫:わしは、別によそから来たとか関係なしに、気が合うて、おもろかったらいいかなって。けど、若い子で遠くから来とる子は大変そうやなって思うけん、できることはしてあげたいって思う。

髙茂:神山塾※1があった時は、いろんな子が来てくれたな。3期生ぐらいの子が一番ようけ来てくれたんちゃうかな。

—よく飲みに連れて行ってもらったりもしましたよね。

髙茂:塾生には、なんぼかこんまいカブを買うてもろたな。ほうじゃほうじゃ思い出したわ。ふふふ。じわじわと思い出す。

—たとえば、荒木さん※2。車の音がおかしかったみたいで、寮生の子を通じて伝言してくれたって。

和夫:あぁ、さんちゃんな。毎日ここの前を通りよるあゆハウスの子を捕まえて、「おーい、さんちゃんに言うといて。音が悪いよ。もうそろそろオイル交換の時期ちゃうかな」って。そしたら、ぴったり。

—さすが!

和夫:2回目もそうやったかな。音悪いなって思ったら、ぴったりやった。みんな都会でおったら、車に乗ってないから。何をどうしたらええか、全然分からんのちゃうん? 分かる範囲の人には言うてあげる。1回目変えたら、次の周期はいつやなって頭に入っとるけん。

—お客さんの車情報、全部入っとるんですか?

和夫:オイル交換は、だいたい分かる。あと整備しよって、昔ながらの手で引くサイドブレーキは、実は乗る人によって調整のしかたを変えてるのよ。年を取ってきたら、力がなくなってくる人もおるでしょ。人や力、年の加減を見ながら、ちょっと多めがいいんちゃうかとか、ふたりで相談しながら、調整しよる。

髙茂:もっと車は大事に乗ったらいいなと思う。

和夫:最近は本当にそれ、思うね。

—「毎日使う車を大切に」くるま屋さんの視点ですね。話は変わりますが、これから神山がどんなふうになっていったらいいなって思いますか?

和夫:もっともっと人が増えたらええよね、特に若い子。にぎやかな方がいい。ほれはいつも親父とも言よる。

髙茂:貸してくれる家がないんだろ? ほれがあったらなぁ。だいぶ移住の希望者があるって言よるけん。

—神山モータースの前を車で通りながら見る限りでは、いろんな人が毎日混ざり合って、楽しそうに話していますよね。

和夫:みんなここで仲良くなったりね。移住して来て、こっちに知り合いがおらん子も、ここでほかのお客さんと仲良くなったりしてる。

—ホアン先生※3と和夫さんは、仲が良いんですよね。

和夫:ホアンは、日本語しゃべれん振りしとる。都合悪いときだけ、めっちゃ外国人になるから。「オー、ワカラナイ」って、「ワカラナイ」が全部日本語や言うて!おもろいで、あいつは。

—移住者交流センターですね!

髙茂:看板立てて、書いとくで!

—和夫さんは、今もお店をお父さんと一緒にしているは、「元気でいてほしい」という思いからですか?

和夫:うん、そう。いまもたまに工場におらんときもあるんですけどね。(指折り数えて)二日酔いとか、二日酔いとか、二日酔いとか(笑)

髙茂:いや、この頃、二日酔いはない。若い時は飲み過ぎとったけど、いまはない。

和夫:あれは、三日酔いです。でも、飲みに行くぐらい元気やったら、ほれでいいかなって思う。いままで何回かおらんことがあったもんな。

髙茂:半分死んどったこともあった。

和夫:3ヶ月入院してな。ほん時は、わしがしんどかった。電話番や車取りに行ったりもしてもらえるんが、全部自分ひとりでせなあかんでしょ。

ボケたら困るけん、仕事終わったら、病院にも行かなあかんし。うちの娘を「遊んどけ」って、病院に送り込んだり。ほとんど毎日行っきょったんちゃうかな。

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—最後に、お父さんから息子さんに、何か伝えたいことはありますか。

髙茂:「がんばれよ」ぐらい、じゃな。

和夫:ほたら、逆に「お前もがんばれよ」って。

髙茂:ほれぐらいしかないわな。

和夫:ほれぐらいしかないでしょ。ほれがいちばん短くて、下手に付け足すよりいい。

—良いご家族に恵まれて、と言うか、お父さんがその家族をつくってきたかと思いますが。

髙茂:ほうじゃろか。ごく自然にほうなったんじゃ。

和夫:これはまだ分からん。失敗作かも分からん(笑)。

おふたりの漫才のような、息がぴったり合った掛け合いを隣で聞きながら、楽しいひとときを過ごしました。今日もきっと『神山モータース』では、異文化交流がおこなわれ、工場に笑い声が響いていることでしょう。

※1 (株)リレイションが主催する、厚生労働省の求職支援制度による職業訓練のこと。神山で滞在し「働くことの手前にある、仕事への向き合い方」や「働くことの向こうにある、社会の変化と手応え」を学ぶプログラム。
※2 神山モータース近くにある城西高校神山校の寮「あゆハウス」ハウスマスターの荒木三紗子さん
※3 神山町内でALTとして働くホアン・カルロス・オリバレスさん

インタビュー:田中泰子、撮影:植田彰弘、編集:高瀬美沙子

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