コモンハウス棟完成までと、これから
「関わるってすごい大事なんやなって」
令和2年12月11日
2020年11月にオープンしたばかりの鮎喰川コモン。その中心にあるコモンハウス棟は、「子育て支援」、「放課後・休日の居場所づくり」、「読書環境づくり」の3つの機能を軸にした、今までなかったような性質をもった文化施設です。
今回は、コモンハウス棟を手掛けた坂東住建の大工・広野在住の濱口督士(はまぐち まさし)さんと、これから鮎喰川コモンのスタッフとして運営に関わっていく大埜地出身の下窪美香(したくぼ よしか)さんにお話を伺いました。
濱口:北島町で生まれ育ち、広島の大学へ行きました。大学を卒業して、サラリーマンをしよったんですけど、辞めて大工をしよります。広野にいる親方に弟子入りをしてから「まあ近くに来いだ」みたいな感じで、神山に引っ越してきました。
変わった経歴はあんまりないですけどね。大学時代に魚市場でアルバイトしよったんもあって、日曜日は魚を買いに行って、料理をするんが趣味やね。
下窪:生まれは神山町の大埜地で、家は役場の川向い。高校で下宿をはじめてからずっと神山を離れて生活をしていました。大学を卒業してからも市内でずっと仕事をしていて、神山に帰ってくるのは20数年振り。帰ってくるきっかけは、私と娘が病気をして、こっちの方が環境がいいだとろうということになったのと、両親も70歳を過ぎているので、家でふたりで生活させるのもどうだろう?と思ったから。
—おふたりと鮎喰川コモンとの関わりについて教えてください。まずは、濱口さんからお願いします。
濱口:去年の10月ぐらいから丸1年かけて、コモンハウス棟を手がけてきました。ここは特に、手間をかけるような仕事をしてるじゃないですか。なんかそれがものすごくいいなと。街で仕事をしていたら、効率よく必要以上に手間をかけない仕事がメインで。
ここは、吉田さん※1が「あえて手間をかけてやっている」って。そういうのは、楽しかったですね。簡単にしなくてもいいんぞって。昔のやりかたはこうやったけん、できるんじゃって。
うちの親方はもちろん、ほかの大工さんもみな大工の仕事が好きな人ばっかりなので、「手を抜く?何を言よんな」みたいなね(笑)。手間をかけて、必要以上のことをして、大工冥利につきるなぁって話もしていましたね。
—たとえば、大工さん的にいうと「あえて手間をかけて」っどういうことなんですか?
濱口:全体ですね。ひとつひとつがね。昔の人はよく考えてあるんやなって。たとえば、彫り方ひとつにしても。外部においてはちょっとでも腐らんように、あんまり大きくはつったり(削ったり)せんと、ちょっとでも残す。そんなことからはじまって、ほんまにいろいろ。
木は裏表もあるし、上下もあるし、そんなんが今風の家だったら隠れてしまって見えない。でもコモンハウス棟は、木を見せるんよね。
—足を踏み入れた瞬間に"うわーっ"となる空間になりましたね。
濱口:(全体を眺めて)きれいですよね。しているときは、いまやっているところしか見ていないので、全体的に眺めたりすることってあんまりなかったから。
木に対してはごっつい意識しとったけど、最初はあんまり何のためにしよる家とか気にしてなかったですね。最後の方に、馬場さん※2の話をちゃんと聞いたときに、仕事を丁寧に大事にせなあかんっていう以上の何かを発揮せなあかんな、と。そこから完成に向けて熱があがっていきましたね。
—下窪さんは、鮎喰川コモンのスタッフ募集をどういった経緯で知ったんでしょうか?
下窪:以前から神山のことは気になっていて、ここに施設が建っているということは知っていたんですが、どういう施設かは知らなくて。集合住宅の見学会に寄せてもらって、コモンハウスのスタッフ募集の話を聞いたんです。
ちょうど離職したばかりで、いままでのキャリアとか子育ての経験を活かしたことがやってみたいって考えていたときでした。施設の内容を詳しく聞かせてもらったら、すごくマッチしてると思って、飛びついた感じですね。
—いま(インタビューはオープン前の10月)はどんなことをされていますか?
下窪:9月から研修がはじまりました。いろんな研修がありますが、自分に関わりのあることが多くて、何よりこれからつくっていくワクワク感があります。いままでの仕事と違って、すごく楽しいなと思いながら、仕事をしています。
私も含め、ほかのスタッフも立ち上げに関わるのがはじめての方が多いんですが、みんながやってきた経験を持ち寄って話をしていると自然とアイデアもどんどん出るし、みんなで「今日の研修楽しかったね」と言い合ってますね。
これまで自分が子育てをしていてイベントに参加する側だったのが、今度は運営する側になって、参加者目線でも見れるし、運営者目線でも見れる。相乗効果がうまれているというか。
—神山はいま、おふたりが見て神山はこうだな、とかこういう風に感じるなっていうことはありますか?
濱口:神山で暮らすようになって25年ぐらい。子どもの小中学校時代は人数も少なかったんで、役割も与えてもらって、市内の子と比べるといろんな経験をすることができたと思います。市内の高校までの送り迎えが大変やったっていうことぐらいですかね。
いまは、よそへいって仕事をしていたら「神山です」って言ったら興味を持ってもらえる。ここ4,5年は、だいぶん知られたまちになったね。すだちから何から、新しい食べ物屋さんとか、みな知っとんなぁ。
コモンハウス棟を手がけるまでは、広野から下へ下へ、街の方の仕事ばかりで、広野から上に行くことはなかったですね。ほかの大工さんとも知り合いになって、みな若いのにすごいなって。
—上棟式のとき、集合住宅を含む鮎喰川コモンに関わった人たちが集まったじゃないですか。そのとき大工さんたちの仲が良さそうに見えました。同業種の方がたくさん集まって仕事をするのは珍しいことですか?
濱口:街中でも造成して建売してるところもあって集まることもあるけど、そんなに仲良くはしませんね。
—1年間ぐらいこっちに通っていて、神山の見方は変わりましたか?
濱口:ものすごく興味を持つようになりました。ずっと下へ下へ行っているときは上へあがってくることもなかったけど、じゃあ桜を見に上分まで行こうかとか。一日かけて回ったりして、山へあがってくるようになりました。
新しいお店ができたら食べに行ってみようか、とか。
ほかの大工さんも「ここは誰々の家じゃ」って、いろんな話をしてくれる。やっぱり関わってきたら親しみも湧くし。
—下窪さんは神山から出られている期間もあって、神山のいまをどう思っていますか?
下窪:正直に言うとここにいたときは、山と川しかない、職場もない、何もないっていう感じのところで、中高生からみると退屈なまちというイメージでしたね。帰ってきても、なんか私が関われる仕事があるんかなって雰囲気だったんです。
濱口さんと同じでここ4,5年で県外の友達から、神山っていろんなお店が出来てるけどどうなん?っていう問い合わせがものすごくあって。私も全然知らないし、ちょっと調べてくるわって感じで神山に帰ってきて、お店に行ってみたりして。
外から神山はすごいって聞くようになってから、そうなんじゃって。ネットでいろいろ調べたりとか発信してるのを見て、いろいろやってるんやって。
私が住んでいた頃と比べるとありえんような光景が広がっていて。たとえば、まちなかを外国の方が歩く姿なんて、見たことも考えたこともなかったんで、感動しました。
最近まで石井町で生活していたんですけど、福祉関係がすごく充実していて、いろんな面で支援体制が整っていて、もうちょっと早く帰っておけばよかったとか思いましたね(笑)
—お子さんたちの反応はいかがですか?
下窪:下の娘は7月から神山中学校に通うようになったんですが、すごくウエルカムな感じで迎えてくれて、1日目から「誰々ちゃんと誰々ちゃんと友達になった」や言うて。
石井町では長く生活していたんですけど、高校入試もそうやし、ある程度競争のなかで育ってきていたんでピリピリしてたんですけど、なんかこうのんびりムードで。ふたりとも「神山時間で流れが違うよね」って言うんです。
以前は、塾行って、次は何して…みたいな分刻みのスケジュールで、なかなかのんびり過ごさせてやれんかった。いまは、お風呂上がりにばあちゃんと月をみたりとか、ばあちゃんがつくってくれたお団子を食べたりとか。ほかと比べることを意識して競争のなかで生きていくよりはいいかなって。
—鮎喰川コモンにこういう風にあって欲しい、使って欲しい、などはありますか?
下窪:スタッフとしてはコモンを通じて、元々ここに住んでいる人たちと、移住されてきた人たちが話す機会が増えて、距離も近くなってくれたらと思います。
まだまだ父親や母親世代からすると、よそから来た人は話をしてみないとどういう人なのか分からないというのがあって。昔から住んでいるおじいちゃんおばあちゃんと、新しく入ってきた人が場所を共有することで町民になっていってくれたらいいなって。そのお手伝いができたらいいなって思います。
同時に、子どもたちが集まる場所になるので、コロナの不安はあるし、人が集まることで怪我をしたり感染が広がったりというのは、っていうことはすごく気をつかわなければならないという責任感はあります。それ以外の準備、たとえば備品をひとつ選ぶにしても、このスペースで赤ちゃんがこの状態で遊ぶにはこういうのがいいよねとか、楽しく選んでいます。
—これから神山がこうあって欲しいというのがあれば、教えてください。
濱口:いろいろ問題点はあると思うけど、自分が思っている以上に全国的に人気のある町やし、活性化していっているから、うまいこといったらいいなと思ってる。
でも、今回まちの仕事に関わらなかったら、そんなことも思いもしなかったかな。思いもしないというか、関わってないところやったら興味も持てなかったし、みなが何かで町のイベントとかでも関わるようになったら、また違う感じ方もするのかなって。上棟式やってあんなに人が来るとは思いもしませんでしたね。あんなに来るん?って。関わるってすごい大事なんやなって。
下窪:やっぱり住んでる人の満足度が高いまちであって欲しいと思う。移住して来て、長くここに留まりたいと思ってくれたり。私たちみたいに一旦出ても帰ってくる人が増えてくれたりしたらいいなと。
県外からの移住者の方と元々住んでいる人が、全然興味も感心もお互いにないっていう状態じゃなくて、化学反応が起きて融合して、もう少し面白いことができたらいいなという期待もしつつ、まずは娘たちが進学とかで外に出ても、また神山町に帰ってきてくれるようなまちになって欲しいな。
濱口さん達が"大工冥利につきる"と感じながら手がけた、コモンハウス棟を見に、また"楽しくて仕方ない"という下窪さんをはじめとするスタッフのみなさんに会いに、鮎喰川コモンへぜひお越しください。
※1神山町のあす環境デザイン共同企業体の吉田涼子さん、現場監理を行いながら、鮎喰川コモンの設計にかかわる設計士さん。
※2神山町役場総務課の馬場達郎さん。地方創生分野を幅広く担当し、大埜地の集合住宅、鮎喰川コモンにも関わっている。
写真:植田彰弘、編集:高瀬美沙子