元役場職員の、高齢者への介護支援と町内バスツアーでの気づき
「地元の人間も、神山の将来を考えていかないかん」
平成29年10月17日
川野公江さんは、神山町鬼籠野地区に拠点を置く「NPO法人生涯現役応援隊」の理事長を務められている方です。高齢者に対する居宅介護支援などを中心とした活動に、日々取り組まれています。そんな川野さんですが、今、神山町が行っている町民向けの町内バスツアーに参加したことをきっかけに、移住者や町の将来について深く考えるようになったといいます。どういった心境の変化があったのでしょうか。お話を聞かせていただきました。
町の人たちに恩返しをしていきたい
川野さん(以下 川野) 私は元々、神山町の神領地区の生まれです。
三重県の看護学校を卒業後、そのまま働き始めました。
そこでたまたま同じ神山出身の主人と出会ってね、向こうで結婚もして。
三重でずっと住む予定でおったんですけど、
主人といろいろ話し合って、昭和56年頃に神山に帰ってきました。
それからは保健所で臨時の仕事をした後、
神山町役場へ就職して、退職まで保健師として働かせてもらい、
その後、「NPO法人生涯現役応援隊」を作りました。
ーNPOを設立された経緯を教えてください。
川野 退職にあたって、これから何ができるかを考えた時に、
居宅介護支援や介護予防支援ができないかと思ったんです。
最初はボランティアでやろうと思ってたんですが、
やっぱりそういうことをするには、法人を設立しないとできないということで、
それだったらNPOをたてようかということになったんです。
私は神山町で30年弱くらい仕事をしてきましたけど、
ずっと地域の人に助けられてきたんですね。
たとえば、町の職員として自宅を訪問する時にね、今みたいにナビがない時代ですので、
家の詳しい場所が分からないことがよくあったんですよ。
でも、そういう時も地域の人が家を教えてくれたりとかしましたよね。
今だったら個人情報云々で厳しいと思いますけど(笑)。
あとは、上分地区の方まで行くとなかなかお昼を食べに帰ってこれないので、
訪問先でお食事をいただたりとかね(笑)。
地域の人には本当にお世話になったんです。
そのお世話になった人たちが、今、80歳や90歳になってますので、
自分の体力の可能なかぎりは、町の人たちに恩返しをしていきたいなあという感じですね。
神山の人ってね、本当に働き者だと思うんですよ。
それに人情豊かだし、人付き合いも良いし、世話も良くしてくれるし。
だから、そんな皆さんが生涯現役で自分らしいことをやって欲しいなって。
それのお手伝いができれば、いうことでやり始めました。
むしろ私の方がエネルギーをもらってます(笑)
川野 メインの活動としては、火曜日と木曜日の午後にサロンをひらいています。
参加される方は、基本的に神山町内に住所のある方で、町内色んな所から来てくださってるんですよ。
サロンでは健康チェックをしたり、体操をしたり、音楽のレクリエーションをしたりしています。
音楽レクリエーションは、音楽の先生に来てもらって発声練習とかもしてたんですよ。
やっぱり皆さん歌が大好きなので、これは大人気でした(笑)。
口腔機能の面からも大きな声を出すというのは良いらしいんです。
足腰と同じで、口や喉まわりの筋肉も年齢と共に落ちてくるんでね。
若い時はね、お友達と喋ったり、子どもを叱ったり、色んなことで大きな声を出すことが多いですけど、歳をとってくるとそういうこともなくなるでしょ。
だから、ここでしっかり声を出そうということでね。
それから、サロン以外にもフラダンスや太極拳の教室、
認知症の人やそのご家族を対象とした集まりも月に1回、
あとは神山町内の各地区に介護予防教室として訪問させていただいています。
ーどういう所にやりがいを感じられていますか?
川野 やっぱり来てくれる人が元気になっていくことですかね。
少しずつ変わっていくんですよ。
たとえばこの活動をはじめた当初、両杖をついて来られてた方がいたんですけどね。
毎週、体操したり歌を唄ったりと皆さんと交流していくうちに、
段々と片杖になって、最後には介護予防手帳を振りながら杖をつかずに来るようになったんです(笑)。
そういう目に見えての変化は本当に嬉しいですね。
私は、ここに来ると皆さんの変化を感じることができるし、皆さんの笑顔を見ることができる。本当にありがたいなって思うし、むしろ私の方がエネルギーをもらってますよね(笑)
移住者の心の叫びに聞こえた
ー先日、神山町が主催するバスツアーに参加されたと伺いました。参加されていかがでしたか?
※神山町では、町内在住者・在勤者に向けて、町内の新しい施設やお店をめぐるバスツアーを実施している。詳しくはこちら。
川野 バスツアーに参加するまでは、
町の変化って同じ町内だけど、どこか遠くの出来事だと思っていたんです。
役場に勤めていた時に月1回は東京に出張に行っていて、
そこでも「神山すごいねー、また新聞載ってたよ」とかよく言われてたんですけど、
全然ピンと来ていなくて。
なんかすごい人たちが来て、私たちの知らないことをやってるよねっていうようなそんな感じでしたね。
勿論、新しくできたレストランは殆ど行かせていただいていますけど、
やっぱり食べて、美味しかったねっていう感想だけで終わってしまっていたんです。
皆さんが、どういう思いで神山でお店をひらいたり、仕事をしているのかまでは分からなかった。
けど、今回このバスツアーに参加して、そういうことを聞くことができたでしょ。
皆さんが、こんなに神山のことを考えてくれてるんだって本当に驚きましたね。
もっと言うと、私には移住者の人たちの心の叫びにも聞こえたんですよ。
「私たちはヨソから来てここまで神山のことを考えているのに、
あなたたち地元の人は町のことを考えているのか?」っていうふうな感じで。
これは私なりの受け止め方だとは思うんですけどね。
キラリとひかる神山町になって、前に向いて進んでいける
ー今の神山についてはどう見られていますか?
川野 私は、これまでの神山には後ろ向きなイメージがあったんです。
高齢化がすすみ、人口が減っていき、
限界集落として細々と生活していくんだろうなっていう。
でも、今町に入ってきてくれてるのは、すごいエキスパートの人たちばっかりじゃないですか。そういう人たちが沢山おいでるから、どんどん神山が変わっていける気がするんです。
けれど、そうやって移住者の方が神山のことを考えてくれているのだからこそ、
私たち地元の人間も、もっと神山の将来のことを考えていかなあかんって本当に思いましたね。
だから最近、私は周りの人やサロンに来てくれよる人によく言ってるんですよ。
「これからは自分たちなりに声に出していかなあかんよ」って。
ー声に出す。
川野 やっぱり神山町は今、過疎化が進んでるじゃないですか。
ということは他の市町村では考えられないような、それに伴う問題を皆さん感じていると思うんですよね。
ひとつ例をあげると、移動の問題もそうですよね。
車も運転できんしバスもそんなに走ってないから、高齢者の方って移動にすごい困ってるんですよ。
それを解消する為にタクシーの補助制度があるんですけど、
それも住民が不便に感じていることを、声に出したからできたものだと思うんですよね。
移動手段がないからしょうがないって諦めるのか、
何か他にそれを解消する方法はないだろうかって考えるかの違い。
その違いって難しいことやけど、すごく大切ですよね。
でも、そうやってひとりだけの声じゃなくて、
皆の声を集めれば変わっていくことって絶対あるんですよ。
不具合を表現するっていう感じですかね。
裏でブーブー文句言うんじゃなくて、ちゃんと変える為に動く。
自分で動けなかったら、動ける人に伝える。
そうやって自分たちが暮らしづらいと感じている部分をもっと出していって、
生き生きと輝きながら生活をしていくことが、神山の将来に繋がると思うんです。
私の子どもたちも「いつかは神山に帰ってきたい」って言ってるんですよ。
だから、私たちは〝今〟だけを考えてるんではあかんのですよね。
少しずつでも将来のことを考えていこうね、と。
自分たちが住み終わったら良いっていう考え方ではあかんよ、と。
それを今回のバスツアーに参加して、よりいっそう深く感じましたね。
移住者も地元の人も一緒になって、神山のことを考えていく。
そうすることで、これまでの後ろ向きな神山町からキラリとひかる神山町になって、
前に向いて進んでいけると思います。