林業家が関わる、町の新たな木のプロジェクト
「神山の木材にも、ようやく光が射してきた」
平成29年 8月 8日
金泉裕幸さんは神山町上分の出身。2代目として製材所を経営しながら、ご自身も林業家として山に入り、今も現役で神山の木と向き合っている方です。ここ数年は「神山しずくプロジェクト」のメンバーとして活動するようになり、移住者とも広く交流をしている金泉さん。これまでの仕事のことを含み、お話を聞かせていただきました。
木を挽いたら、どんどん売れた時代なんですよ
金泉さん(以下 金泉) 生まれも育ちも神山町です。
町外へ出とったんは、高校1年生の16歳から24、5歳くらいまでの9年間だけ。
父親がこの製材所を経営しとったんで、私は2代目になります。
こまい時から父親の仕事を見てたんですけど、
正直言って、まさか自分が後を継ぐとかは全く思ってなかったんです(笑)。
ー何かきっかけが?
金泉 きっかけっていうほどのことはないんやけど。
高校卒業してから2年間くらいは、就職もせずにぷらぷらと遊んどってね(笑)。
ほいでまあうちの父親が、
「遊んどってもしゃーないから、俺の知ってる材木屋にでも働きに行ったらわ?」って
徳島市内の会社を紹介してくれて、そこへ就職したんですよ。
ほれではじめて仕事として木に接してみて、
木のこととか父親の仕事の内容も詳しく知ってね。
段々と仕事の面白さみたいなのも感じるようになってきて、
4年間くらい働いた後、帰ってきて親父の後を継ぐようになりました。
まあ、それが製材するきっかけといえばきっかけですね。
ほなけん、もうこの世界に入って40年くらいかな。
私が帰ってきた時は、ここらへんでも林業従事者は何人かいてたんですよね。
大体、秋の9月くらいから翌年の4月くらいまでが木の切り旬なんですけど、
その時は山からチェーンソーの音がよーけ聞こえるわけですよね。
木材の搬出の為の車も常に行き来して、ものすごい活気があったというか。
でも、私がいい思いをしたんは10年くらい(笑)。
いい思いっていうか、単純に木を挽いたらどんどん売れた時代なんですよ。
それほど木の使いみちがあって、値打ちがあったんで。
今は、殆ど山におってもチェーンソーの音とかも聞こえんし、
木材を積んどる車を目にすることも、滅多になくなったでしょ。
やっぱりバブル崩壊とともに雲行きが怪しくなってきて、それから徐々に悪くなっていきましたね。
今は山に木を切りに行って加工してっていうんを、基本的にはひとりでやっています。
ただ、私が自分くの山の木を切り始めたんもここ10年くらいなんですよ。
それまでは市場とかで買ってきた原木を加工してっていう感じで。
やっぱり50歳くらいで商売も下降線を辿ってきた時に、
ちょっと何かやってみたろかっていう気がおこってね。
親戚のおじさんに木の切り方教えてもらうところから始めたんです。
「そんなん無理ちゃうか?」って思ったんですけどね(笑)
金泉 今まで自分は、建築材を主流に仕事をしてきたんですけど、
ここ最近は「神山しずくプロジェクト(SHIZQ)」のメンバーに加えてもろたりしています。
※神山しずくプロジェクト:大阪から神山町に移住してきたWEBデザイナー廣瀬圭治氏(キネトスコープ社)が、人工林と水源の問題からスタートさせたプロジェクト。神山の杉を使ったプロダクトの制作を行っており、町内のギャラリーショップとWEBストアを展開している。
金泉 最初はね、グリーンバレーの理事の人から、
「木のことで相談したいっていう人がおるんやけど、会ってくれへんか?」って電話がかかってきてね。
ほれで、その当時、廣瀬さん所で働いてた子たちがうちに来たんですよ。
最初は、「薪割りワークショップがしたいんやけど、どうしたらええですか?」って感じだったかな。それからお付き合いするようになったんですよね。
廣瀬さんからSHIZQの食器の話を聞いた時は、
「そんなことできるんか?無理ちゃうか?」って思ったんですけどね(笑)。
ー無理というのは?
金泉 常識的にできないっていう。
SHIZQの製品は杉を使っとるんですけど、やっぱり杉は加工しづらいんですよね。
しかも製品は基本的に全部ツートンカラーになっとるんですよ。
そういうものは、それまで見たことがなかった。
杉は建築材として使うっていうんしか、自分の頭になかったんもありますし。
誰もしたことがないことだったんで最初はびっくりしましたよ。
SHIZQの食器は神山の杉を使っているんで、
私の山の木と森林組合さんから出てきた木を買って、私が加工しています。
製品自体は小さいんで、木一本から大分量はできるんですね。
ただ、量は確保できても乾燥の期間が大体2年間くらい必要なんですよ。
人工乾燥じゃなくて天然乾燥じゃないと、木が持っとる本来の艶がでなくて駄目なんでね。
ほなけん、ひとつの製品にするには結構時間がかかるんですよ。
メラメラっと燃え上がらせてくれる
金泉 神山しずくプロジェクトの活動を廣瀬さんたちがやり始めてくれたことによって、
町としても神山の木に目を向け始めてくれた気がします。
それまでそういう活動はなかったと思うけん、町にしたらインパクトがあったんでしょうね。
最近では、町産材の認証制度ができたりね。
※町産材認証制度:神山町内の森林から生産された木材であることを証明するための制度。徳島県内の市町村で認証制度を設けたのは、神山町が初めて。
金泉 やっぱり神山町で家を建てるんやったら、神山町の木でなかったらって自分は思いますよ。よその木使ってどないするんなと。
認証制度ができてからは、森林組合に行っても、
ちゃんと見分けがつけられるように、町外産の木には立て札がかかってるんですよ。
神山の木がそうやって使われていくんは、我々としては非常に嬉しいというかね。
神山の木材にも、ようやく光が射してきたと思います。
神山町は、那賀町やに比べたら個人でやってる林業家がホンマにいないんです。
新規でやるにしても、やっぱり林業って農業と違ってハードルが高いじゃないですか。
設備はいるし、機械はいるしね。誰でも彼でも入っていける世界ではない。危険やしね。
でも、興味がある人に我々が見学とか体験する機会を作ってあげたいんです。
そうすることで、神山町の山に目を向けて従事する、自伐型の林業家みたいな人が、
ひとりでもふたりでもいいから現れて欲しい。
自分もその中のひとりとしてやっていきたいなって思ってます。ほれが私の最大の望みです。
ー最後に今の神山をどう見られていますか?
金泉 うーん。
やっぱりなんか上分のおっちゃんやおばちゃんやは、
まだ移住者の人とか新しい町の流れに馴染んでないんちゃうかな。
ピンと来てないっていう人が、いっぱいいるというかね。
町がバスツアーとかをして、サテライトオフィスを巡ったりもしよると思うんですけど、
それに参加することに消極的な人もおるしね。昔から閉鎖的な考え方の人も多いんで。
ーそれをもったいなく感じられているんですか?
金泉 もったいないというか。
ちょっと言葉では言い表せられないんやけど、触れてみてもいいのにとは思うんですよ。
地元の人にもいい刺激になるはずなんでね。
私もね、廣瀬さんにはすごい刺激をもらってますから。
やっぱり彼らは自分にはないアイデアをすごい持ってるんでね。
いろいろとね、「こんなことできませんか?」って相談持ちかけられるんやけど、
口では「そんなん無理やろ」って言ってもね、
心の中では「よし! やったろうやないか!」っていう気持ちになるんです。
メラメラっと燃え上がらせてくれるというか(笑)。
ほなけん、地元の人に、移住者と触れ合えるきっかけをもっと作ってあげたいし、
自分が関わることで今の状況を変えていきたいなと思っています。