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『大埜地集合住宅』の造成工事を終えて
「この工事を『やらない』という選択肢はなかった」

平成30年10月 5日

第一期の住宅が竣工した『大埜地集合住宅』。8月からは4組の家族が入居し、新しい生活が始まりました。今後、住宅は20戸まで増え、四期にわたって入居者を募集していく予定です。今回は、集合住宅の造成工事を行った藤本昇さんと森本淳司さんにお話を伺いました。新しい施工方法も数多くあった現場に、地元の業者としてどのようなかかわり方をされたのでしょうか。設計・監理の立場で2人と力を重ねてきた吉田涼子さんと池辺友香子さんも交え、聞かせていただきました。

「君ら、土木分かってんの?」

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藤本さん(以下 藤本) 生まれは下分、育ちが神領。小さい頃から役場の近辺に住んでるんですわ。高校は徳島市内の徳島工業高校(現:徳島科学技術高校)に行って、森本さんとはそこの同級生ですね。卒業した後は建築会社へ就職して、高知で8年くらいおったかな。ほれから、いろいろ事情があって徳島に帰ってきて、今は土建屋をしています。

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森本さん(以下 森本) 私は上分生まれ。どういう仕事に就けば神山に残れるかなっていうんを考えたときに、公共工事はなかなかなくならんやろうという甘い考えで、土木の道に進んだ。高校卒業して、市内の建設会社に6年くらい。その後、地元の業者から誘ってもらって、神山に帰ってきました。

今は徳島市内に家を構えています。娘がふたり、両方大阪におる。こないだ下の娘が帰ってきたときに吉田さんと蛍を見に行ったんやけど、ずっと吉田さんに質問攻めしとった。「何で神山にや来たん? 私だったら絶対生活できん!」って言うて(笑)。

吉田さん(以下 吉田) (笑)。生まれは大阪で、実家は埼玉にあります。去年から神山に来ていて、集合住宅の現場を見ています。

池辺さん(以下 池辺) 私は生まれも育ちも奈良です。大学を出てからは大阪で働いていました。この仕事をきっかけに転職しまして、設計期間は東京にいたんですけど、昨年工事が始まるタイミングで吉田さんと一緒に神山に移ってきました。

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YouTube:「神山つなぷろ #19 解体から造成まで」より引用(撮影:川口映像事務所)

ー造成工事を終えてどうでしたか?

森本 喉元過ぎれば熱さを忘れるじゃないけど、終わってみたらこんなもんかなって(笑)。まあとにかく、工事のやり方は変わってたよなあ。解体のときに出たガラを産業廃棄物として出さんとか、電気・水道・熱供給を全部土の下に埋めるとか。

藤本 まあでも、簡単なことをするより難しい方がやりがいはあるでえね。徳島県内でこういう工事は今までなかった。施工方法なり使っとる材料なり、いろんなことを先駆けてやりよるっていうんは評価できると思う。

ここの場合は、入札の前に説明会があったんですよ。それもホンマに珍しい。普通はそんなんないし、書類だけ見て仕事とろうかどうしようか、っていうんを決めるんよね。
まあでも第一印象は、日数も予算もこれは厳しいんちゃうかなあって思ったね。やったことないことも多かったし。まあけど、池辺さんと吉田さんに毎日会えるわけやったけど(笑)。

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池辺友香子さん。

池辺 そんなこと、最初は思ってなかったでしょ(笑)。

吉田 絶対思ってない。というか、最初にきついこと言われたのを覚えてます。

ーどんなことを?

吉田 「君ら、土木分かってんの?」みたいな感じで。

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こちらが吉田涼子さん。

藤本  よー覚えとんなあ。ごめん(笑)。一番最初、ふたりの会社の社長とかもおったときに言うたなあ。「設計屋として現場のことを見ます」みたいなことを話しとったけん「若いふたりやし、実際、土建屋やいうんは荒いし、ホンマにできるんか?」って。
結局、こういう工事になったら下請けに何社か入ってくれるんですわ。そういう人たちに迷惑はかけたくないっていうんもあったんよね。そのためにはどれだけ段取りをうまいことできるか。やけん、最初にきついことを言わせてもろたんよ。

やりながらベストに持っていく

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YouTube:「神山つなぷろ #19 解体から造成まで」より引用(撮影:川口映像事務所)

ーその後、入札された。その経緯は?

藤本 うちの会社は現場の目の前にあって、土建屋でいうたら一番近い距離なんよね。それを指をくわえて見とるわけにもいかんやん。情けないでえねえ。勿論、大変やし手間はかかるけど、利益の面も含めてやってやれんことはないな、っていう判断をした。でもまあ、無茶なことはよーけありましたよ。

池辺 私たちは無茶とは思ってなかったんですよね。「この計画でやれる」っていう自信のもと設計してるので「え? 何でできないの?」みたいな。そんな感じだと、いっぱい厳しいことも言っていただけて。

吉田 藤本さんや森本さんと仕事ができて良かったなって思うのは、できるできないの前の議論に付き合ってくれるんですよね。いっぱいある経験の中で「こういうのが良いよ」っていうのを言ってくれる。
極端に言えば、ちょっと設計に入っちゃってるというか。それはすごく頼もしかったですね。

それこそ藤本さんが言ったように、今までやったことないことに設計側も挑戦してるので、やりながら色々と修正して、ベストに持っていかなきゃいけないようなことが起こるんですよね。だから逆に「図面通りにやっとけば良いんでしょ」みたいな人が施工者だったら、一緒にはできなかったと思います。

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藤本 若い頃、建築会社におったときから、現場で「こうした方がいい、ああした方がいい」って設計者と話をするんが好きなんよ。度が過ぎて、上司に怒られたこともいっぱいあったんやけど(笑)。

要は自分の中に身につけたいんですよね。今回の現場もそうやけど、今まで経験してないような、常識で考えたら「おかしいやん!」っていうことがいっぱいある。それが自分の許容範囲を超えたら、逆に面白いんですわ。「え?何でこれを反対に置くん?」とかね。あ、これは感覚が違うんやなって。
それが面白い。面白いし、新しい経験として自分の中に吸収されるというか。

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YouTube:「神山つなぷろ #19 解体から造成まで」より引用(撮影:川口映像事務所)

森本 やっぱり設計側には「こういうふうに仕上げて欲しい」っていうイメージが絶対あるけん、それは叶えてあげないかんな、って思うんよね。そうなったら週1回は会議で話聞いて、あかん所を修正していかなあかんかった。実際、よその現場ではやらんこともよーけやったよ。冗談かと思うこともいっぱいあった。

藤本 何で僕らがこんなことするん、っていうんがなあ。

森本 それが面白かったけどなあ。

集合住宅がもっといっぱいあれば良い

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藤本 でも、僕としては今回の工事に参加した意味はあったと思う。さっきも言ったように、先進的なことに挑戦するっていうんは、やっぱり有意義というか。

ーこの集合住宅の工事は見逃せなかった?

藤本 そりゃそうですね、うん。この工事を「やらない」っていう選択肢はなかったです。

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森本 僕も、神山で最初の集合住宅にかかわれたんは良かった。あっちこっちから寄って集まった皆でいろんな意見も言い合ったけど、目指す所は良いものを完成させようっていう所で一緒やったけん。

ただ、工事が終わったけん仕事が終わり、ではないよね。これから集合住宅は活用していかないかんわけやから。大雨降ったときはちゃんと水が流れるんか、とか。下水管詰まったらどうしよう、とか。
やっぱりここに住宅があるかぎり心配になる。まあそれは責任よね。

ー吉田さんと池辺さんは振り返るとどうですか?

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吉田 集合住宅の現場はまだまだ続いていくので、そういう意味ではしめられないんですけど。
自分は元々建築の勉強をしていて、設計を生業にしてきたんですよね。その中で土木の現場のことを分かってなかったのもあって、ふたりの「こうだよ」って言う意見と、上司たちの「こうじゃない」っていう意見の間を、どう調整していくかっていうのが。

藤本 きついよなあ(笑)。

吉田 でも、どっちの意見も正しいかもしれないから、純粋に勉強してロジカルに考えて判断していくしかないんですよね。その判断は難しいけど、面白かった。だから、もっともっと考えて勉強しないと。
下手なことを言うのはやめようって。自分の経験の中で、適当なことを判断するのが一番罪だな、って最近あらためて学びました。

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池辺 私は、どちらかというと住宅やエネルギー棟の建築工事を担当してたんですよね。なので、造成工事が仕上がってきて、それを建築屋さんにどう引き継いでいくのかっていうのが大変でした。現場を進めていく中で、藤本さんと森本さんに指摘されることも多くて。

インフラから敷地を設計して住宅を建てていく。その難しさも含め、設計者として勉強が足りないな、と痛感したんです。けれど、現場の作り方とか業者さんとどう付き合うのが良いかとか、普段、設計事務所にいるだけでは学べない部分をお二人から教わりました。

それは藤本さんと森本さんがいてくれたから学べたんだと思います。森本さんの「どないかなるだろ、やってみよ」っていう言葉と、藤本さんの「ちゃんと考えとかないと駄目だよ」っていう言葉にすごい救われて。
とにかく、おふたりのコンビネーションが抜群だったな、っていう印象です。

藤本 いや、ふたりは夜遅くまで仕事しよるし、ホンマに感心するわ。いつ通っても電気ついとるし。

森本 頑張り屋やな、ほんまに。

藤本 心配になって、たまに夜中に様子を見に来るんやけどな(笑)。

池辺 それ、ビックリするんですよね。「誰か来た!」って(笑)。

ー今の町の取り組みに対してはどう思いますか?

藤本 町外からどんどん若い人に入ってきてもらって、人口減少を止めようっていう町の動きはええんじゃないですか。ただ、神山はやっぱり働く場所がないんよなあ。そのへんを考えたら、もっと住みやすい町になると思うんやけどねえ。役場か農協に行くか、農家するか土建屋するか…。働く所が少なすぎるよね。

森本 それも今やったら40分くらいで市内に行けるけん、集合住宅に住みながらでも仕事に通えるんちゃう。僕やが若い頃は、佐那河内と神山を結ぶトンネルもできてなかったから、市内から帰ってくるんもかなり大変だった。

そういう意味では、集合住宅がもっといっぱいあっても良いんちゃうんかなあ。若い子が神山に住みたいと思っても、住む所がないもんね。とにかくもっと住居を増やさんかったら。
造成地だけでもええわ。町が造成だけして「家を建てる土地ありますよ」みたいな募集するんも良いかもしれん。

藤本 それはええかもしれんなあ。家まで作らんでもなあ。今回みたいな造成工事がどんどん続いていったら良いんやけどなあ。やっぱり人がおらなあかんよ。どんどん減る一方やしな。

そりゃ昔は住みにくかったよ。「こんな田舎に、誰が住めるんな」って感じだった。
でも、今はほんなことないんでよ、と。交通の便も良いし住みやすい町に神山もかなり変わってきとるんでよ、っていうことをもっとアピールできるようにやっていけたら良いよね。

森本 うちの娘から説得せな(笑)。

吉田 一番手強いですね(笑)。

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