神山町 kamiyama-cho

神山はいま

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同級生の大工ふたりが取り組む、改修プロジェクト
「ボケた感じだった『町』が少しずつ見えてきた」

平成28年 8月 2日

今年の秋に解体され、集合住宅に生まれ変わる予定の元神山中学校寄宿舎『青雲寮』。その場所で共に中学校生活を送った荒井充洋さんと大家稔喜さんは、同じ大工という仕事をしています。
これまでの仕事の経験を活かし、今は、町の民家改修プロジェクトに参画されているおふたり。
同プロジェクトに関わるようになり、心境に変化が生まれたといいます。青雲寮での思い出も含めて、お話を聞いてきました。

当時は寮を出たくて仕方なかった(笑)

ーまずは簡単な自己紹介からお願いします。

荒井さん(以下 荒井) 今は阿川に住んでます。
小学校までは実家でおって、中学校は今度解体されて集合住宅になる青雲寮で3年間寮生活をしてました。

高校から市内(徳島市)に行って、そこ出た後は『徳島木匠塾』っていう大工育成の学校みたいな所に通って、週の半分は学校、週の半分は建設会社で働くっていうんを4年くらいしよったんかな。

ほんでまあ親父も大工だったんですけど段々と家の方を手伝うようになって、
親父と、もうひとり手伝ってくれよった人と、3人くらいでずーっと仕事してました。

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仕事の様子を撮影。インタビューした場所も荒井さんの作業場。

まあ、ありがたいことにお客さんがお客さんを呼んでくれて、
そういう感じでずっと仕事が回っとって、現在に至るんですけど。

ただ、今年の年明け早々に親父が急に倒れて、そのまま亡くなったんです。
それからまた仕事の状況が急変したというか。

親父と自分が仕事を分担しとったんですけど、
親父がしよったことを自分がするようになって、現場は職人さんに任せるみたいな。
それもまあ最初は不慣れな感じやったんですけど、半年くらい経って段々と慣れてきたかなっていうような状態ですね。

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大家さん(以下 大家) 僕もおおかた、かぶっとんやけど(笑)。
中学校は寮で、高校は徳島工業高校(現徳島科学技術高校)に行って。
ほんで卒業後は京都の方の専門学校に2年間おりました。

帰ってきてからは親父と一緒に働いてます。
うちは爺さんが始めたんで、私が3代目になるんです。
荒井と一緒で、ありがたいことにずっと神山町内で仕事をさせてもらってます。

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結婚してからは、石井町で2年間くらい住んでた時期もありました。
でもほれがやっぱりね、合わんかったというか。
神山とは違って、表面上の付き合いしかない感じなんですね。
なんかほれも寂しいなと。
で、なかなか帰って来れんかもと思いよったんですけど、
長男が生まれた時にどうしても生活がしにくくなって、こっちに帰ってきました。
やっぱり何も気ぃつかわんと生活できるんで、故郷はええなあと思いますね。

ー青雲寮での生活は?

荒井 濃かったですね(笑)。普通の中学生とは全然違う3年間というか。
かなり規則正しい生活で、夜10時には寝て朝の6時には起きるみたいな。
まあいうたら小学校の時や甘えとった頃やないですか。
その環境からいきなり放り出されて、先生も怖いし先輩も怖いし、かなり衝撃的でしたね(笑)。

部屋には1年、2年、3年とがひとりずつ割り振られるんです。
目上の人との付き合い方とか礼儀とかはそこで学びましたね。
なんかこう社会の縮図みたいなんがそこにはあるんですよ(笑)。

大家 洗濯ひとつにしても、
1年生は3年生の洗濯物をせなあかんとか、1年生は全自動の洗濯機を使うなとかね(笑)。
全自動は1フロアにひとつしかなくて、殆どが二層式だったんですよ。
その全自動を使えるんは3年生だけっていう。
あいとる隙に勝手に使ったんがバレたら怒られたりとか(笑)。

荒井 風呂もあったかい方とぬるい方があって、1年生はとりあえずぬるい方に入らなあかんだろうなあ、とかもあったな(笑)。

ーかなり体育会系ですね。特に印象に残っている思い出はありますか?

荒井 おやつみたいなのは每日出してくれよったんですけど、
飲食物とかは基本持ち込み禁止なんですよ。買い食いとかもしたらあかんかったし。
それをいかにバレずに中に持ち込んで飲むかっていう。
そういう遊びでないけど、楽しみというか。
寮の中で飲むジュースの美味さ{笑)。

あとは、夜中にこっそり抜けだしてカップラーメンを買いに行ったりとかね。
なんかほれでラーメンのカスを川に放っとって、それを近所の人が見つけて問題なったりとか。

大家 僕の方も多分、書けんと思うんやけど。
まあ思春期なんでね、友だちとお風呂あがりにエッチな本を見よったわけですよ。

ほいでね、ちゃんとドアを閉めきって見とったはずやのに、
後ろ振り向いたら完全に気配を消した先生がおったんですよ(笑)。
それはめちゃめちゃ怒られましたね。

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荒井 まあホンマ、言えんことの方が多すぎて(笑)。
でも、当時は出たーて出た−て仕方なかったけど、こうやって振り返ってみたら結果的には寮での生活は良かったなと思いますね(笑)。

大家 卒業したら良い思い出やなあ。

マイナスなことを探してしまいよった

ー近年の町の変化は、どういう思いで見ていましたか?

荒井 そういう噂とか話を聞くだけで、全然関わりもなかった。
ここらへん阿川っていう地域なんですけど、あんまり移住者の人もおらんのですよね。
ほなけん神山のことをテレビとかで見ても、もっと違う所の話みたいな。
芸術家さんとかなんかほういう人らも来よるらしいんやけど、どの人が芸術家なんかも全く分からんし。

大家 町の人は鎖国状態というか。
裸足で歩きまわりよる、どこの国から来たんかなっていうような人とかもおるわけやけん、
やっぱそういう人の方が目立つんですよね。
ほんな人らもひっくるめて、あんまり良い印象を持ってないっていうんが正直な所かもしれんねえ。

荒井 サテライトオフィスとかも車で通りがかりにチラ見する程度で、自ら足を踏み入れることはないというか。
大工やけんね、どういう造りになっとるんだろうとかそういうんは気にはなるんやけど。
見に行っても「あそこはもっとこうしたらええんちゃうんか」とか、そういうマイナスなことを探してしまいよった。

大家 なんていうか、ひがんどるんですよね。
ちゃんと話したらそういうんもなくなるとは思うんですけど自分からそういう場所に行くこともなく。
ただ、遠まきにずっと見てました。

荒井 やけん自分やは、移住してきとる人の店とかはまず訪れんかった。

一緒にやるんが同級生っていうんは大きいと思います

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建築家・片岡八重子さんの案内で「空き家プロジェクト」を視察中の様子。広島県尾道市にて。

ーそんなおふたりですが、今は町の民家改修のプロジェクトに、神山つなぐ公社と取り組んでいます。どんな経緯が?

大家 最初の接点は、去年の10月か11月くらいですかね。
その時にはちょうど役場と僕らの間にパイプ役みたいな人がおったんやけど、
「若い子らでそういうことやる話があるけん興味ないか?」って言われて。
ほんで、話を聞いてみたら面白そうやなあと思って関わるようになりました。

僕とか荒井とかは自分で仕事を取りにいくスタイルなんで、
じっとしとっても仕事が入ってくるわけじゃないんですよね。
でも、今こうやって人口が減っていっきょる中で、
今までみたいにずっと神山で仕事をまわしていくことはできんだろうなあ、っていう危機感があって。いうたら先には何の保証もないというか。

そんな中で、町とか公社からほういう相談をしてくれて、自分やにとってマイナス要素は何もない。
非常にありがたすぎて、逆になんか裏があるんちゃうんかって思うくらい(笑)。

荒井 今回の民家改修のプロジェクトは、
設計士さんが入ってくれるんで、今までの自分とは違うスタイルで仕事ができるんで、そこも楽しみなんですよね。
自分がイメージした直し方と違った発想もあるはずやし、どういうふうに仕上げていくんかなっていうような楽しみですね。

しかも大家と一緒にできる。
実際、一緒に仕事したことはないんですよ。
一緒の現場になったとかいうこともないんで、そこもまた勉強になると思うんですよね。
やっぱり大工って、親方が違うかったら仕事の仕方が変わってくるんで。
ほれを学んで、良いとこ取りして進めていけたらなって。

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空き家調査時の写真。©Masataka Namazu

大家 一緒にやるんが同級生っていうんは大きいと思います。
僕らって施工方法とか仕事のもらい方とか、結構似とる所があるんですよ。

ほの中でやっぱり、町外のハウスメーカーとか設計事務所にも負けんようにせないかんと思っとって。
その時に自分だけだったらやっぱり視野もあんまり広くならんので、
そこらへんも同級生で協力し合いながら、安定して仕事ができるような状況を一緒に作っていければ。
そういう思いも一緒だったと思います。

荒井 まあホンマそんな中で公社から声がかかったんは、「乗るしかないだろ」って感じでしたね。

ー集合住宅のプロジェクトはどうでしょうか?

大家 そこですることって最近の建設工事では、なかなかできんようなことなんですよ。
ちゃんと神山の木を使って、切ったり、削ったりって。
今は少ないんですよね。既成品で来たんをはめ込むとか、ボードとかクロス貼るとか、そういう感じの仕事が多いんで。
そういうんができるんは、すごい良いことだと思います。

ーしかも、そこが青雲寮の跡地です。

大家 なくなるんは寂しいんやけど、あそこにあったってしゃーないんはしゃーないんでね。
なくなったら忘れられていくんだろうなっていうんもあるんですけど。

荒井 けどほれに関わるんはホンマにありがたい話というか。
設計図も見せてもらったんですけど、集合住宅に入っていく道は今と同じ場所なんですよ。
ちょっと寮に帰んよるみたいな。
なんか変な心境で仕事ができるんちゃうかなって思いよる(笑)。

ちゃんと聞いて、それから文句も言おうぜ

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ー町の取り組みに関わりはじめたことで、心境に変化はありましたか?

大家 今は移住者の人に対しても、個人個人ひとりひとりと話しよる感じというか。
前までは何も感じんかったけど、色々僕らが思いつかんようなアイデアを言うたりするんで、最近は「なんか一緒にできんかな」って考えるようになってきたっていうんが本音やね。

ほれに比べて、地元の人はあまりにも神山のことに無関心すぎて。
けど文句は言う、みたいな。
「いや、そこはお前ら話聞けよ。ちゃんと聞いて、それから文句も言おうぜ」みたいなんはあります。
上手いこと言えんのやけど、もどかしい。

でも、それは関われたけんそう思うんであって、
多分関わってなかったらそっち側の人間やったんやろうなって思いますね。

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荒井 僕もまあ一緒で。
ずっと無関心だったんですけど最近は、「あの人ってどういう人なん?」とか自分から聞くようになった。
頻繁に新しい人に会うけん、誰が誰か、なかなか覚えれんのやけど(笑)。

そう考えたらやっぱり関心が出てきたんかな。
なんか勝手に拒否しとっただけで、いざ飛び込んでみると良いことだらけやし。

大家 そうやな。
全く無縁の世界で、ボケた感じだった「町」が、今は少しずつ見えてきた気がしています。

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さようなら青雲寮
2016年8月13日(土)午前10時00分〜午後4時00分

秋の解体を前に、このインタビューの2人を含む元青雲寮生等の呼びかけで、
建物の中に入り、在りし日をしのぶ1日を持つことになりました。
当日は懐かしの軽食が振舞われるかも?
元寮生の方もそうでない方も、どうぞお越しください。
主催:さようなら青雲寮 実行委員会
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