バレー部監督が語る、子どもたちのいま
「声を聞くことは少なくなった」
平成28年 7月 4日
郵便局員と少女バレー部の監督。ふたつの顔を持つ坂西章さんは神山町上分の出身です。日々、変化する町の現状に驚くことも多いといいます。昔から神山に暮らし、子どもたちの成長を見守り続けてきた坂西さんの目に、今の神山はどう映っているのでしょうか。お話を伺いました。
友だちは沢山おりまっせ
−簡単な自己紹介からお願いします。
坂西さん(以下 坂西) 坂西章といいます。歳は62になりました。
だいぶ足腰がいとーなってきて(笑)。
今は郵便局で働いていて、神領小学校でバレー部の監督もやっています。
元々は神山の奥地にある上分の大影っていう地域におったんやけどね。
今は神領の方に引っ越してます。
ホンマに大きな影ができるんですよ。日があんまり当たらない。
今は殆ど空き家になってる場所です。
高校卒業して神山を出て、就職で大阪に行きました。
若い時って遊びたいでえね(笑)。
大阪の堺に5年くらいおって、最初は徳島市内に帰ってきました。
今は中央郵便局やけど、その時はまだ徳島郵便局っていう名前だったんですよ。
そこにもまあ5年くらいおって、その後に神山へ帰ってきたんです。
22歳で徳島に、27、8歳で神山に帰ってきたんで、
そらぁもう友だちは沢山おりまっせ(笑)。
その頃は神山も人が多くて活気があったなあ。
まだ1万人くらいおったんちゃうかいな。
僕らの時は青年団とかがあって青年団活動やありましたよ。
今はないもんね。
そんな風に若者が活動できたりしよった場所がいっぱいあったんかなあ。
ここいらでも花火大会があったりね。
町主催やけどそれを手伝ったりね。
ほらすごかったですよ、ここでした花火大会は。
出店もバザーもあって、青年団も婦人会も集まってきてね。
ごっつかったなあ。
−坂西さんが神山に残った理由はなんだったんですか?
坂 ホンマは大阪におりたかったんやけども(笑)。
自分の体調のこととか家族のこととかもあってね。
それで帰ってきました。
まあほやけど、人間関係では神山が一番素晴らしい所と思う。
皆、優しいもんね。
昔は悪いことしよったらちゃんと怒ってくれるおっちゃんとかもおったしね。
あとは衣食住の過ごしやすさかなあ。
生まれた所っていうんもあるけど、山もあるし川も綺麗しね。
−最近、神山が注目されていることについてどういうふうな印象をお持ちですか?
坂 元々ね、大南のしんちゃん(※NPO法人グリーンバレー大南信也氏)やよう知っとるし。
おんなじ学年と思うんじゃ。
いつもよう会うて話はするんやけどね。
最初、外国の先生とか連れてきてホームステイとかしよったんよ。
僕の家も受け入れ先に何回かなったりね。
英語や全然分からんけんもうちょっと勉強しとったら良かったなあと何回も思った(笑)。
最初は奇抜なことしよるなあって思った人も多かったと思うけどねえ。
多分、普通の田舎のおっちゃんおばちゃんやは、
は? って思ったと思う(笑)。
でも何でもそうやけど、してみな分からんでえな。
僕はまた面白いことしよるなあっていう印象だったなあ。
今もまた急激に変化しとるねえ。時代を感じます、やっぱりね。
その時代についていける人といけん人がおるじゃないですか。
頭を柔らかくして、対応してかないかんのだろうなとは思うけどね。
僕は子どもたちからパワーをもらいよる
坂 今、ずーっと子どもたちを教えよるでしょ。
やっぱりほの素晴らしさは感じるね。
夢があるでえね、小さい子には。
僕は子どもたちからパワーをもらいよるから、それはありがたいなあ。
ごっつい若うおれると思う。
もうこれが一番でね、多分これやめたらはよ死ぬんちゃうかなって思うような時もありますね(笑)。
今は15名の子がバレーの練習に来ています。大体1学級くらいかな。
だからこうやって教えよるうちは、
子どもの元気な声が身近に聞こえるでしょ。
でも、町におっても子どもの声を聞くことは少なくなってきてるんですよ。
配達で色んな所走るけど、キャーキャー言う声がないもん。
昔はやかましいくらい言いよったもんね、ここいらも。
やっぱりそれはホンマに寂しい。
町の子どもの絶対数が減ったしね。
それが一番辛いなあ。
移住してきてくれた人たちの子どもはね、まだ小さかったりもするし。
子どもらの活気っていうんは、ホンマに大事やと思うんですよ。
やけんバレーしよる時とかは、
外のグラウンドで男子が野球しよったら、
「負けたらあかんぞ、声出せー」言うてね(笑)。
−やっぱり子どもが増えているという実感はないですか?
坂 そうやねえ。
勿論移住者の人がちょっとずつ増えよるんは分かっとるけど、まだ実感はないかなあ。
要するにまだまだ若い子が少ないと思うけん、増えるわけないでえな。
じいちゃんばあちゃんばっかりでしょ。
もっとこう神山で若者が住める所を見つけていかなんだら。
まあほら企業が町に入って来てくれるんはごっつい嬉しいんやけど、
若者が定住でけんのでは、なんぼ活気がでけても町は良くなっていかんのちゃうかなと思う。
お前らが帰ってきてせえや(笑)
ホンマね、自然の豊かさとかは最高やのに荒れ地とかもいっぱい増えてきとるでしょ。
する人がおらんけん。
−耕作放棄地は増えてきています。
歳が大きいなって亡くなったり施設に入ってしもたりで、
やる人がおらんようになっとるでしょ。
で、子どもは県外や市内におるっていうんが多いもんね。
どこの家も子どもが帰ってくるってなっても墓参りくらいちゃうんかな。
僕の子どもやでも香川県におるけんね。
戻ってくるや言わんのですよ。
私らが帰れるようにお父さん家の守りしといてとか言うしね。
ほんなんお前らが帰ってきてせえやって思うんやけどな(笑)。
でも子どもたちも、成人なったら一人の人間やけん色々意見もあるし、
どうしたらええんかなって。
勿論、自分が生まれた所やけん神山に悪いイメージを持っておることはないんですよ。
でも、やっぱり働く所がなかったもんやけん。
それがやっぱり一番のネックやないかなあ。
こういう仕事があるぞって気軽にいえるようなやつがないでえな、神山って。
ほういうんがあったら帰ってこいって言えるけど。
ほやってしよるうちに歳が段々大きいなっていって、別の場所に住み着いてしまうでえな。
やっぱり若いうちにそういう仕事が神山にあって、
高校卒業しても大学卒業してもぽっとこう帰ってこれるものがでけたら。
僕はね、今の神山も好きなんですよ。
歳が大きいなって、自然の素晴らしさっていうんを改めて感じるし。
春は桜が咲くし、夏は川が綺麗しね。
ほらやっぱ良いですよ。
移住者の人たちとも気軽に話がでけるし。
小さい子どもがおったら遊んであげたりするけんね。
やけん、そこらへんの受け皿っちゅうか、そういうのがあれば町はもっと良くなっていくんちゃうかな。