神山町 kamiyama-cho

神山はいま

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神山だからできること。
―田舎での新しい家業の継ぎ方―

平成27年12月24日

 2013年に神山町にご主人と一緒にUターンし、ご実家の『倉良写真館』を継がれた近藤奈央さん。現在は、写真館での記念写真の撮影や、個人や企業のプロモーション写真の撮影、その他にもブログやウェブサイトの作成など幅広いお仕事を手がけています。古くから伝わるものを継ぐだけではなく、新しいことにも日々チャレンジし、領域を広げていく近藤さん。そんな近藤さんが考える、新しい家業の継ぎ方とは。

自分の暮らしをイメージしてみる

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取材は倉良写真館の一階で行った。近藤さんの後ろには様々な本が。中には『神山町史』という本も。

──Uターンしたきっかけや、経緯についてお話ください。

近藤奈央さん(以下:近藤) 中学校までこの町で育ったのですが、子どもの頃は町のことがすごく嫌いでした。よいものは大阪にあって、もっとよいものは東京にあると思っていたので。

それで、高校は徳島市内だったんですけど、外に出たくて大学は県外の大学に行きました。
その後卒業してちょっとだけ県内で仕事をしたんですが、すぐ結婚して主人の仕事の都合で東京に4年くらいいました。

ただ、とにかくすごく忙しくて。
仕事も朝から晩までエクセルを作ってるみたいな感じで、「何やろなぁ」ってちょっと色々考えてしまったんです。
その間に地震もあったり、身体の調子が悪い時期もあったりして・・・。

そうやって、ふとこの先どうしようかと考えた時に、まあ神山で新しく挑戦してみるのも良いかなあと思ったんです。

それまでも、ちょこちょこと神山に帰って来てはいたんですけど、でも、向こうで働いてるだけだったら神山の変化は全然気付かなかったですね。

神山に帰ろうかなあって考え始めて、自分がチャンネルを合わせて調べだしたら、どんどん情報が出てきて、なんかすごいことになってるなあって。

それから、半年くらいモヤモヤと、仕事のことも含めて現実的なことを考えました。
自分の暮らしをイメージしてみる感じです。

自分はホンマはどういう暮らしがしたいのか、每日どういう生活をしているのか、将来はどういう生活をしていきたいのか。そういったことをイメージする。
最初は自分の思いつきなのかもしれないですしね。

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──イメージ。移住の決め手は何かありましたか?

近藤 段々考えて、「よし!」って何かが固まってっていう感じですね。半分勢いもあるんですけど、半年間くらい寝かせて考えて、やっぱり帰る方がええんかなあって確信みたいなのがありました。

仕事のこととかも、もちろん100%いけるとは思っていなかったですけど。
でも、動く前にいくら考えても上手くいくわけないって思うんですよね(笑)。

それに、田舎は田舎でも変な田舎やから。ホンマに保守的な田舎で変なことしたら多分、浮くやろうけど。ここやったら多少、変なことしても浮かんかなあ、みたいな。

変化していこうとする人たちが沢山いるので。

だから、一応ここ私の実家ですけど、あんまりホームに帰ってきたっていう意識は全然なくて。ここはフロンティアだと思っています。

古いものを大事にしよう大事にしようというのじゃなくて、なんか振り切って新しいことをしていくとか、変なことをしてたらええんちゃうかな、と。

新しいことをとりあえずやってみる

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仕事での撮影対象は様々。成人式や結婚式などの記念写真からモノ撮りまで、何でも行う。

──今のお仕事のことを詳しく教えてください。

近藤 主な仕事は個人や企業の宣材写真を撮ったり、個人のブログとかウェブサイトを作ったり、プロモーションしたりということをしています。
最近は起業したい人のコンサルティングみたいな仕事も入ってきていています。

元々趣味で写真は撮ってたんですけど、本気でやりだしたのはこっちに帰ってきてからなんですよ。

今は、ブログやSNSを見てくれた人が問い合わせをくれたりとか、私の知らない所で誰かが私を紹介してくれたりとか、そういった感じで仕事をしていて。
それは意識的にそういうふうな仕事の取り方を自分で作ったっていうのもあります。

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近藤さんのブログ『曲げわっぱな日々』。曲げわっぱに詰めたお弁当のことや写真のことが綴られている。

やっぱり初めの頃は仕事が欲しいから、1回だけ飛び込み営業をしたんですけど、なんかもうすごい、心が折れて(笑)。
で、あーもう無理やぁって思って、営業せんでもなんかしらんけど紹介されて仕事が来るようにしたいなあと思って。
それは都会ではできなかったとは思いますね。田舎の方がより目立てるというか。それも自分が実感して初めて分かったというか、田舎には田舎のやり方があるんやなぁ、みたいな。

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近藤さんの作業デスク。デスクの上には近藤さんのお父さんが使っていたフィルムカメラも並んでいる。

──お話を聞いていると、直接同じビジネスを継いだというより、何か一から新しいことを始めているという感じです。

近藤 そうですね。自分が子どもの頃は自分の家の仕事に興味なかったし、父とかお爺さんとかが、何でこんな一生懸命写真撮ってるんやろ、何でこうシャッター押すだけで仕事になるんやろ、みたいに思ってたんですけど(笑)。

元々は曾祖父さんが100年位前に、何を思ったのか突然大阪に写真の修行に行って、ここで写真屋を始めて。
それだけ聞いたら曾祖父さん新しいもの好きなんやね、で終わるんですけど。

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2階のスタジオには、照明などの撮影設備がズラリ。

なんか当時のことを考えたら、写真てわけの分からんもんをするより、農業とか林業をしてる方が絶対儲かったと思うんですよね。そこを敢えて、何かビビっと来て、写真を始めたっていう。写真を撮ったら魂が抜かれるっていわれている時代に(笑)。

何故、写真を始めたかを聞くことはもうできないですけど、曾祖父さんが始めたからこそ、お爺さんも父も私もここで仕事が出来ているわけやし。結果的には私も同じ写真というものを使って仕事をしていますけど、曾祖父さんのスピリットみたいな、新しいもの好きでなんかとりあえずやってみる、とりあえず行動してみるっていうところは同じようなことができているから。これでまあ、継いだことになるんかなあって。

町自体がプラットフォーム

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倉良写真館がある寄井商店街は、近年サテライトオフィスが入ったり、
カフェビストロがオープンしたりと色々な変化が起きている。

──ただ実家を継ぐことにとどまらず、新しいことをどんどん始めていった。

近藤 そうですね。やっぱりUターンして来るのにもある程度ハングリー精神というか、開拓者精神というのがいると思うんですよ。それに写真っていう業種特有のことかもしれないですけど、カメラだけあっても撮るだけやから何も生み出さないじゃないですか。
うちにはスタジオもありますけど、言ってしまえばただの箱ですし。

でも逆にそういう枠だけあったので、じゃあ私は何でも出来るかなって。
プラットフォームだけあるから、何でもして良いよっていう状況のように感じたんです。

神山自体もプラットフォームみたいなもので、じゃあ、好きに来て、好きにしたらっていう感じなので。そしたら皆が勝手に変なことして、また変な人が来る、みたいな。

──プラットフォーム。

近藤 町の話でいうと、強制しない、されない。でも、何かあったら助けてあげるよっていう。この家もまあプラットフォームといえばそうなのかもしれないですね。なんか自由に使っていい枠みたいなのがあって、町もそうだし、家もそうだった。

でもそれが実は、実家の写真館を残すことにもなってるっていう。
実家って足かせだと思ってる人が多いと思うんですよ。

でも、それが足かせじゃなくて、プラットフォームとか枠っていうふうに捉えるとものすごく資産で、その中で自分が自由にやれば、普通にIターンするよりもすごいアドバンテージがある状態で物事を始められると思うんですよね。

だから、実家をただ継ぐと思って帰ってくると、もしかしたらつまらないかもしれないし、上手くいかないかもしれないと思います。

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環境に引っ張られている


近藤 中学生の私もこの写真館のカウンターに座ってボンヤリしてたわけなんですけど、やっぱり全然見える風景も違います。
中学生の頃はここにいたら、ここしか世界がなかったわけですよね。
それが今は世界の裏側の人と話ができる。どこに住んでも一緒やし。

昔だったら地方はただ東京にコンテンツを供給して、東京でまた他の都道府県の何かと取捨選択されて、そこをくぐり抜けたものがメディアに出てくる。

そうじゃなくて、今はじかに田舎から世界に発信する拠点になろうと思えばなれるし、そうしないと、なんか本当の生の情報って伝わらないんじゃないかなあ、と。

ここも、昔の感覚でいえば、ど田舎のなくなりかけている写真館だったかもしれないけど。
でも逆にいうと、世界のどこにもない何かを発信できる所だなあって。

──発信できる場所。

近藤 はい。多分、私みたいな人が別の地域に行ったとしても、こんな風に取材に来て頂くことは絶対なかったと思うんですよ。
そんな大した経歴もないし、有名な会社にいたわけでもないから。
なのに、私がこうやって話をさせて頂いたりとか、それを面白がってもらえる、みたいな。
そういうのがやっぱり変で面白いと思っています。

特にここにいると、東京にいても絶対に知り合えない人がそのへんに普通にいたりして。そういう面で、環境に引っ張られているというか、自分も思った以上に仕事が出来るんじゃないかなあって思いましたね。

周りが上昇思考というか面白い人たちだったら影響される。周りが何も考えてないと、危機感もないけど(笑)。
なので、私はホントに環境と人に恵まれていて、したいことをしてるだけなんです。

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