神山町 kamiyama-cho

神山はいま

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生活雑貨店店主の、町外からの町への関わり方
「地元の人と外から来る人との間に立つことが、自分にはできるんじゃないか」

平成29年 4月18日

徳島市内で生活雑貨店を営まれている、神山町神領地区出身の東尾厚志さん。現在は、市内に住みながら、神山町の地方創生戦略を考えるワーキンググループや、町内に新しくできたお店やオフィスの、家具や食器のプロデューサーとして、様々なプロジェクトに参画されています。東尾さんは、どういう思いを持って神山と関わっているのでしょうか。お話を伺いました。

寄井に行くと、ちょっとこちょばい感じになります(笑)

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東尾さん(以下 東尾) 実家は上角地区にあって、神領小学校、神山中学校と通いました。
小学校の時は、30分くらいかけて歩いて通いよって、
近所のお寺の兄弟をおぶって、学校に連れていってあげてました。

中学校の時は、野球部に入っとったんですけど、
ほの当時の記憶はよく残ってますねえ。
顧問の先生がかなり厳しくて、毎日怒られてました。
こないだ、その先生の息子さんに会うことがあって、
「お父さんには大変お世話になりました」みたいな挨拶をして(笑)。

その頃は、地域との結びつきみたいなのが、とても強かったかもしれないですね。
ソフトボール大会とかお祭りとかがあっても、
「自分は上角の人間なんだ」っていうのをすごく意識していたというか。
「対寄井地区」っていうのをすごい押し付けられるんですよ(笑)。
ドッジボールしても奥と下で分けられたりとか。

だから、今でも寄井に行ったら、ちょっとこちょばい感じになります(笑)。
アウェーに来てる感じというか。
これ誰に言ってもあんまり分かってもらえないですし、
こんなこと言ってる人もあんまおらんでしょうけど(笑)。
でもまあ、そんなんも含めて、神山への思いっていうのは強かったと思います。

高校は、徳島市内の城南高校に行きました。
その時、ちょうど国道が広がって、
実家の母屋を半分潰さなあかんようになったんですよ。
ほんなんもあって、石井町に新しく家を買って、
僕とか姉はそこから通ってました。

ただ、親父は神山町役場で働いとったんで、そのまま神山に残ってましたけど。
親父は、前町長時代の副町長までしています。
道の駅ができたり温泉が改装したり、そういう時代でした。

親父が身を粉にして町の為に働いとったんは、今でもよく覚えてます。
なんかプレッシャーもいっぱいあってか、
よく夜中にひとりで酒呑んでるんとかも見てましたよ。

外から町を見ることができていた

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東尾 高校卒業して、大学は大阪に行って、就職で徳島に帰ってきました。
就職したのは徳島県内のインテリアショップで、最終的にはひとつの店を任せてもらっていました。
元々、生活雑貨とか民藝のやきものとかは好きで、
高校生の頃からお金を貯めて、よく買ってたんですね。

僕は、「長く使い続けられて、誰もが使える定番のもの」を売っていきたかったんです。
そういうものにこそ、価値があると思っていたんで。
だから、野田琺瑯とか柳宗理デザインのキッチンウェアとかを取り扱ってました。

ただ、やっぱりサラリーマンだったので、
会社からは、もっとサイクルが早くて、
トレンドのものを売るように求められるんですよね。
上司にも「民藝とかアホちゃうん。売れんだろこんなん」ってよく言われてましたよ(笑)。
やっぱり売上には、なかなか繋がらなかったですね。
当時のインテリアショップでは、民藝品を売ってる店って殆どなかったんですよ。
今ではもう、当たり前になってきてますけど。

「売りたいもの」と「売れるもの」っていうんは、やっぱり全然違うくて。
だから、ずっと苦しんでいたと思います。
そういうのもあって、段々と「自分の店を持ちたいなあ」と思い、
『東雲(しののめ)』っていう店を2011年に徳島市内にオープンさせました。

その店では、民藝の考え方を基本として、徳島の藍にフォーカスしたり、
関西のものづくりを紹介するようなイベントをやったり。
そんな感じで5年間続けたんですが、昨年の10月に一度その店は閉じて、
今年の4月から『遠近 をちこち』っていう新しい店をはじめています。

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『遠近をちこち』の入り口。場所は徳島市内だが、以前の店に比べて、少しだけ神山寄りに位置している。

会社員やってる時は、家と会社を往復するだけの生活だったんで、
なかなか神山に行くこともなかったんです。
ただ、東雲をオープンする時くらいから、少しずつ関わる機会も増えてきて。

神山のことをある雑誌に記事として書かせてもらったり、
神山にできたサテライトオフィスの食器や家具を手配させてもらったり。
僕も神山のことを知って、神山の人たちも僕のことを知っていってくれました。

ちょうどその頃って、東日本大震災の年っていうのもあって、
IターンとかUターンの人がわーって増えた時期だったんですね。
僕の周りでもそういう人は、すごく多かったです。

twitterとかfacebookとかも流行り始めた時期とも重なったんで、
なんか神山のことを知りたい人が、僕の所に情報収集しに来てくれたりとか。
徳島市内にいる神山の水先案内人みたいな感じに、なんとなくなっていったんです(笑)。
まあ、僕自身もずっと町にいないんで、
良い意味で、外から町を見ることができていたというのもあったのかもしれない。
だから、客観的に色々と話せたんでしょうね。

絶対に、好きにはさせないぞ

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ワーキンググループは一昨年の第1回に続き、昨年から第2回も開催されている。

ーそんな中、ワーキンググループへ参加されたきっかけは?

東尾 外から町を見ている過程で、
「神山、本当に大丈夫なん?」みたいな気持ちがあったんです。
よくあるじゃないですか。
都市部のクリエイターさんが来て、土地の文化もよく分からないまま、
表面的なものだけを捉えて、変な箱物ができるみたいな事例って。

神山って、本来は時間をかけて起こらないかん変化みたいなものが、
この数年でいっきに起こったと思うんですよね。
だから、そういう反動が来ちゃうんじゃないかっていうのを、
すごい心配してたと思います。
だから、「絶対に好きにはさせないぞ」っていうメンタルもあったんですよ。

ー好きにはさせないぞ。

東尾 はい。
言葉悪いですけど、土地が荒らされるんじゃないかなって。
そういうのはすごい危惧していたというか。
だから、ワーキンググループの最初の時にも、
「本当に、神山に愛情がある人にプロジェクトに関わってもらいたい」
っていうようなことを言った記憶があります。

ーそういった感情はワーキンググループを進めていく中で、どう変化していったのでしょうか?

東尾 段々と話をしていく中で、
「ああ、ここにいる人たちは本当に神山のことを考えているんだなあ」
って思うようになりました。
「この人たちに任せても大丈夫だ」って。

というか、元々分かってた部分もあるんですよ。
外から来た人たちの力とか目線がないと、町が良くなっていかんっていうんは。
やっぱり違う目線を持った人がおらんと駄目なんですよね。

以前、「神山はいま」にも登場した白桃くんのように、
「役場を辞めてでもやりたい」っていうような人が出てきたっていうのも、
大きいと思います。
そうやって地元の人が、外から来た人に何かを学んで、
アクションを起こしてみようって変わっていったのが、すごくいいことだと思うんです。
「あ、そうやな。そういう目線もあるんやな」って素直に受けいれていかなあかんし、
外から来た人たちから、やっぱり僕らは学んでいかないといけないんですよね。

「神山町出身です」って誇りを持って言える

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フードハブプロジェクトで運営する「かま屋」のオープニングパーティーの写真。

ー最後に、今の神山をどう見ているか教えてください。

東尾 これから世の中のスタンダードになっていく価値観や文化みたいなものが、
神山から発信していけるんちゃうかなって僕は思ってます。
フードハブでやろうとしていることとかも、社会的意味合いがすごい大きいと思いますし、
何かが起こる可能性っていうのが、今の神山にはありますよね。

だから、僕は今、「徳島県の神山町出身です」って誇りを持って言えます。
これって当たり前のことかもしれないけど、すごいありがたいことですよね。
こんなふうに感じる人が増えたらもっといいだろうし、
そんな町が全国各地で増えていったらいいなって思うんです。

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鮎喰川すまい塾というプログラムの一環で、神山の山林に入り、林業の現場を見学するツアーに同行。

僕自身が、これから町にどう関わっていくかっていうのは、色々悩んでるところです。
ただ、ギャラリーをやってみたいなっていう思いはあるんです。
神山ってやっぱり感度が高い人が多いと思うので。
そういう場所でやることで、
全国の作り手さんにも、また新しい展開が生まれるんじゃないかなあって。

あともうひとつは、地元の人と外から来る人との間に立つことが、
自分にはできるんじゃないかと思ってるんです。

やっぱり地元の人もどこか悔しい気持ちがあると思うんですよ。
外部の人が入ってきて、色々とやっていくことに対して。
何で自分たちの手で出来ないのかって。

けど、さっきも言いましたけど、
やっぱり自分たちだけの力ではできないんですよね。
外から来る人の方が、その土地の魅力とかにも気づくじゃないですか。
地元の人って、僕もそうやけどそこらへん麻痺してて。
でも、よその人に見つけられると悔しい、みたいな(笑)。

なので、そういう外から来る人と地元にいる人を、上手に繋げていくような感じですかね。
何か可能性を感じて町に来てくれる人のお手伝いというか、
上手く着水させてあげるイメージというか。

でも、今の神山がこうなっていったのも、
少数派だったかもしれないですけど、
外の人の意見を受け入れる地元の人がおったからだと思うんですよね。
「新しく人が来たから、手を貸してあげてよ」って、
働きかけてくれる人がいたから上手くいった。

だからまあ、そういう役割だったら自分もできるんじゃないかなって思うんです。
僕は自分でモノを作ったりはできないし、すごい投資とかもできないけど(笑)。
僕なりの貢献みたいなものが見つかったらいいなあとは思っています。

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