神山はいま

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女性保育士が参加した、ワーキンググループでの取り組みと心境の変化
「地域で見守るコミュニティを、神山に残していきたい」

平成29年 6月20日

神山町の下分保育所で保育士として働きながら、町内の阿波踊りの連「桜花連」にも所属している堂脇弓佳さん。今まで、町の取り組みや移住者に対して、深く関わることをしてこなかった堂脇さんですが、昨年の地方創生戦略を考えるワーキンググループへの参加により、少しずつ心境に変化があったといいます。神山町への思いも含め、お話を聞かせていただきました。

神山以外の場所で暮らそうって、全く思わなかったんですよね

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堂脇さん(以下 堂脇) 堂脇弓佳です。生まれは神山で、小中学校とここで過ごし、
高校から徳島市内、大学から県外に行きました。
大学を出てすぐに神山に帰ってきて、今は下分保育所で保育士として働いています。

保育士には、中学生の頃からなりたかったんです。
歳が離れている妹の面倒をよく見てたんですけど、
その時にちっちゃい子と遊んだりする楽しさを感じて、そういう仕事に就きたいなって。
当時の作文にも「将来、保育士さんになりたい」って書いてるんですよ。
その時の担任の先生が、「堂脇さんは保育士に向いとると思うよ」って言ってくれたことも心に残っています。

仕事はかなり大変です(笑)。
私は今年、クラスを持たずにフリーで動いてるんですが、全員のことを把握せないけないんで。でも、今年で5年目で、仕事内容や行事とかも一通りは分かってきたので、
なんとなく慣れてきたかなあって感じです。

移住者の人のお子さんも段々と増えてきていて、今の3歳児クラスは半分以上がそうだと思います。ここ2、3年で特に増えてきたなっていう感覚はありますね。

全体の幼児の数も増えてきていて、今年は50人くらいです。
やっぱり人数が増えると、クラスでできることとかも増えていくので、
すごく良いことだと思いますね。

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桜花連は徳島市内だけでなく、神山町内の様々な場所で踊っている。この写真は、町内にある福祉施設での踊りの様子。
©Akihiro Ueta

プライベートでは、桜花連っていう阿波踊りの連にも入っています。
小学校4年生の時から始めて、高校と大学の時は抜けてたんですけど、
また神山で働きだしてから復帰させてもらいました。
10年以上踊らせてもらってることになりますかね。

5月くらいから練習は始まるんですけど、はじめのうちは週1回とかで、
本番が近くなってきたら週3回とかに増えていきます。
最近は、いろんな場所に呼んでいただいて踊らせてもらう機会も増えたんで、
冬の間も定期的に練習してるんですよ。
桜花連にも移住者の人が結構入ってくれています。

ー大学卒業後、すぐ神山に戻ってきたのには何か理由が?

堂脇 何でですかね~(笑)。
でも、神山以外の場所で暮らそうって全く思わなかったんですよね。
帰ってくるっていう選択肢しかなかったというか。

昔から神山のことは好きだったし、なんせ都会に住むのが嫌だったんですよね。
高校時代の徳島市内での寮生活ですら、「はー、都会は嫌や」ってなりましたから(笑)。
便利は便利なんですけど、人との関わりも少ないような気がしますし、
私には合わないかなって。

神山の好きな所を敢えて言うと、
皆で見てくれてる感じがあって、安心感がある所ですかね。
家族だけじゃなくて、近所に住む人全員で守ってくれてる感じ。
私が小さい時は両親とも働きに行ってて、祖父母がよく世話してくれてたんですよ。
そしたら、祖父母の友だちとかとも関わりが結構多くて。
今もその仲良かったおばあちゃんから、
「おかず多めに作ったけん、取りにきいよー」とか頻繁に電話をもらうんです。
なんかそういうんも良かったんですよね。

どういう人がいるか知ることから始めてみよう

ーそういった中で、町の変化はどう見ていましたか?

堂脇 それこそさっきも言ったように、
桜花連や保育所にも、ちょっとずつ移住者の人も増えてきてはいたんですけど、
あんまり自分から町の変化を知ろうとはしてこなかったんです。
サテライトオフィスだったりお店だったりが、
何かしらできてるなっていう認識はあったんですけど。
知ってる神山が変わっていくようで、ちょっと嫌だったのかもしれません。

町を歩いていても、顔も名前も分からない人が増えてきて「何なんこの人たち?」みたいな(笑)。戸惑いと受け入れたくない気持ちが両方あって。
私は、神山で育って神山の良さも知ってるけど、
この人たちは何を気に入って神山に来てるんだろうってすごく気になっていました。

それに、今来てくれてる移住者の人たちも一時的なもので、
ずっとは町にいないんじゃないかっていう不安もあったんですよね。
でも、私もそんなに積極的な方じゃないので、
「何で神山に来たんですか?」とか深く聞くこともしないまま、ずっと過ごしてたんです。

そんな中、去年ひらかれたワーキンググループに「参加せんで?」って役場の人から声をかけていただいて。最初は私で良いんかなあっていう戸惑いもあって行きたいとは思わなかったんですけど(笑)。
でも、なんかよく分からんけど、勉強にはなるかなと思って参加することにしたんです。

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ワーキンググループの様子。

ー行ってみてどうでしたか?

堂脇 まずは、町がこれまでやってきたこと、これからやろうとしていることを、改めて知ることができました。あとは、色んな人と話ができたんで、良かったです。
顔は知ってても喋ったことない人や、顔すら知らない人もおったんですけど、
そういう人たちとも回を重ねて話をしていくなかで、それぞれが考えていることが知っていけたんで。

移住者の人が神山を思う気持ちとか、これからの神山のことを真剣に考えてくれている姿を見て、単純に嬉しいなって思ったんですよね。
それまでは〝移住者の人って〟みたいな固定観念があったんですけど、
実際にコミュニケーションをとっていったら、全然違うなあって。

その後、ワーキンググループは様々な分科会に分かれていったんですけど、
交流とか場づくりを考えるような分科会に参加しました。
その中でも「長期的に計画して皆が集えるような場を作っていく」チームと、
「とりあえずイベントをやってみて、知りあいの輪を広げていく」チームに分かれていったんですけど、私はイベントチームの方を選んだんです。
長期的なことをやる為にも、とりあえず地元の人も移住者の人たちも、
お互いのことを知った方がいいって思ったんですよね。

それで、交流イベントを企画しました。大体30人くらい集まったんですかね。
料理しながらリラックスして喋れたんで、普段聞けないような何気ない話とかもできて、
一緒に行った地元の友だちも楽しんでくれていました。

自分から知ろうとしてみたら、少しは変わるかなとは思うんです

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交流会の写真。サテライトオフィスで勤務している若い移住者も参加していた。

堂脇 私は自分が小さい頃に感じていた、
地域の皆で見守ってくれているようなコミュニティを、神山に残していきたいんです。
でも、今はそれをするにも、地元の人と移住者の人との間に壁があるような気がするんですよね。

ーそれはワーキンググループに参加した後でも感じていますか?

堂脇 まだまだ、それは感じます。前の私みたいに、地元の人は移住者のことを知ろうとしていないというか。そういう人は、まだまだ多いような気がして。
神山の人って内向的なところがあるんで(笑)。

でも、「なんかよく分からんわ」って言よるだけじゃなくて、
ちょっと目を向けて自分から知ろうとしてみたら、少しは変わるかなと思うんです。
そうやってまずは知ってみて、壁がちょっとでもなくなっていったら、
もっとよくなっていくんじゃないかなって。

ーご自身は少なくとも、歩み寄って変わったんですもんね。

堂脇 はい。だから、移住者の人のことを、まず自分から知っていけたらなあって思うのと、自分の周りの地元の人にも「あの人はこういう人でな~」って伝えていけたらいいなあって思っています。

もうひとつ、今、神山を出て行ってる人にも帰ってきてほしいっていう思いもあるんです。
自分と同年代かちょっと上の歳で、神山に残ってる人って少ないんですよね。
私の周りでも「ホンマは帰ってきたい」って思ってる子は多いんですよ。
だから、そういう人たちに向けても「神山に帰ってきて」って言い続けていきたいと思います(笑)。

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