神山町 kamiyama-cho

神山はいま

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役場の若手職員が取り組む、 新しい「農」と「食」のプロジェクト
「農業の側から、町をずっと見ていた」

平成29年 1月13日

神山町の地方創生戦略から生まれた、『フードハブ・プロジェクト』。白桃薫さんは、町役場から出向という形で、このプロジェクトに参画しています。実家の農業をずっと見てきた白桃さんは、どういう思いで今、この活動に取り組んでいるのでしょうか。役場に就職した当時から今に至るまでの、心境の変化を含み、聞かせていただきました。

与えられた仕事だけを、粛々とやっていました

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白桃さん(以下 白桃) ずっと、神山の上角で育ちました。
実家は農業をやっていて、お米と植木生産を、父親とじいちゃんとばあちゃんがやってます。

小さい時は、学校から帰ってきて遊びに行かない日は、収穫の手伝いもしてました。
当時の感覚では、お小遣いにつられて、手伝いをさせられてたんですけど(笑)。
でも、中学校に入るくらいまでは、畑には何らかの理由で行ってましたね。

中学校に入ると、勉強もせずにずっと部活をしてました。
どこを切っても野球の思い出ですね。下手くそだったんですけど。
その後、なんとか徳島市内の高校に入って、寮生活を始めました。

ーその時は、神山をどういうふうに見ていましたか?

白桃 自分から神山出身っていうのを、あえては言わなかったですね。
高校の友だちの神山のイメージも「相当、山の中やろ」みたいな感じだったので。
はじめてそこで、神山に対してちょっとだけネガティブな感情を持ちました。

実家の農業は植木生産を加え、その時期ものすごい勢いで成長していて。
だから、大学は造園が学べる東京農業大学に進学しました。
父親からも「東京には、一度行っとくべき」って言われてたんもあるんですけど。

でも、大学の勉強は、自分の学びたいことと、ちょっとだけずれてたんですよね。
どちらかというとランドスケープ・デザインの講義が多くて。
なので、半分技術を学んで、半分デザインを学んでみたいな感じで、
ちょっと物足りなさを感じながらも、日々を過ごしていたと思います。

やっぱり東京には馴染めなかったですね(笑)。
人が溢れかえってるのが、すごく苦手で。
だから、とりあえず4年間終わったら東京から出て、埼玉とか関東圏で、
造園の修行をしようと思っていたんです。

ただ、その時期になると、実家の造園の業績がいっきに悪くなったんですよ。
で、「家の仕事には絶対帰ってこん方がいい、役場も募集しとるみたいやし」って言われて(笑)。

じゃあ、とりあえず公務員受けてみようかって受けたら、役場が通って。
そのまま卒業して、すぐにこっちに帰ってきました。

ーそこからは実家に戻って、役場に勤められたんですね。

白桃 そうですね。
そこからは、与えられた仕事だけを粛々とやっていました。
仕事が好きだから取り組むというのではなくて、
生活をする為に、余暇を楽しむ為に仕事をするというか。
30歳手前くらいまでは、ずっとそういうスタンスだったと思います。

仕事のやり方が変わってきたのは、
総務課に配属されて、役場の耐震工事を任された時です。

専門用語が分からなすぎて、業者の人と全然話ができなかったんですよ。
で、そこからすごい勉強して、話ができるように本を読み漁って。
1年半くらいかけてその工事は終わったんですが、段々と仕事が面白くなってきたんです。
ちょっとこう、突き詰めていったら成長ができたというか。
めっちゃ大変やったんですけど、どうにか楽しみながらできたなって。

農業をどうにかせなあかんよな

白桃 その後、総務課から産業観光課にうつって、
中山間地域の耕作放棄地や、耕作放棄地予備群をふせぐ事業と、
鳥獣害対策の業務を主担当でやらせてもらいました。
耕作放棄地のことは、前々から大変な問題やから、頑張ってやらなあかんなっていう感じでした。

ー大変な問題だなっていうのは?

白桃 その少し前に、父親が病気で倒れたんですよ。
それで、うちの父親って神山でお米作っとる農家さんの中では、
一番歳が下なんです。
今年61歳で、普通だったら定年退職しとってもおかしくない歳なんですけどね。

実際、父親が倒れた時に、神領地区のあたりのお米は供給がストップしたんですよね。
そういうのを近くで見ていた時に、後継者がおらん問題とかも含めて、
結構、状況は緊迫しとるんやなと思って。

それは、神領だけじゃなくて、どの地区でも同じような状況になってしまうんやろうなって、
そういうことも段々と分かってきたというか。
だから、父親が倒れたことをきっかけに、
農業をどうにかせなあかんよなって少しずつ思いはじめて。

産業観光課に異動になってからも、
これは仕事を変えて、自分自身が農業やった方がいいんちゃうんかなって少し思ったり。
なんか、気持ちはずっと高ぶってたんですよ。

ーその頃が、役場で働きはじめて10年目くらい?

白桃 10年目ですね、ちょうど。
割と農業の側から、町をずっと見ていたと思います。

ーその白桃さんの10年って、グリーンバレーの活動の10年間と時期的に重なりそうですが、
そういうのはどういうふうに捉えていましたか?

※グリーンバレー:神山町を拠点に活動するNPO法人。「日本の田舎をステキに変える!」というミッションを掲げ、移住者の受け入れやIT企業のサテライトオフィス誘致などを行ってきた。2004年設立。

白桃 最初、役場に入ったばかりの頃は、なんかやってるなっていう印象だけで。
まあでも、あんまりいいイメージはなかったです。
外から来てるアーティストだとか、訪れてくる人だとか、移住者とか、
あるいはそれに関わってる人たちにとっては、いいことなのかもしれない。
けれど、町に住んでる人にとって、いいことが起こってる感じがその時は見えてこなかったし、
理解できなかったので。

役場を辞めてでも、やりたい

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ワーキンググループの様子。メンバーは、若手の町役場職員・住民等、約30名で構成された。

白桃 そういう状況の中で、神山町の地方創生戦略を考える、
ワーキンググループが、一昨年(2015)の6月末くらいに始まったんですよね。

最初に話を聞いた時は、
通常のよくある研修がまた始まるんか、みたいな感じでしたよ。
やれやれ、行くか。みたいな(笑)。

会の主旨もよく分からない感じで、
また移住者や、サテライトオフィスの人たちにとって利益があるようなことが行われるんじゃないかって。
多分、歯がゆいが想いがあったんだと思います。
やっぱり一番は、今、町に住んでる人たちの為に色々やっていこうよ、っていう。

でも、会に参加するうちに、心境は変わってきました。
一番大きいのは、そこに参加している人たちが、
どういう考えを持ってるかとか、どういう思いを持って発言してるかとかが、
段々分かってきたというか。

なんかこう、色々な立場の人がいるけど、
皆、神山を良くする為に、これからのことを考えていたと思うんですよね。
全員が同じ方向を向いていたので。
それは、すごい心境の変化に繋がりました。
今の神山の状況やそこに来てた人たちのことを、自分がもっと知らなきゃっていう。

それからワーキンググループは、
色々なグループに分かれて、素案を出していくステップに入っていったんですが、
その時に、今一緒に仕事している真鍋さんのことや、
真鍋さんがやっていた『ノマディックキッチン』っていう活動を知ったんです。

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上写真右が、真鍋さん。

白桃 ノマディックキッチンは、簡単にいうと、
料理人が中心になって、生産者と消費者を繋ぐような「食」に関わる様々なプロジェクトのことで。
想いを持たれている生産者さんを、支えるような活動だと思うんですよね。
それを全国色々な所で、料理会みたいなイベントをやって、
農家さんにスポットをあててあげるみたいな。

で、自分がやりたかったことも、
小さい農業と小さい消費を繋いでいく、っていうことだったんですよ。
神山のような産地は、大きな市場とは繋がっていかないだろうと考えていたんです。

そういう真鍋さんの活動を知った時に、
まさか同じような考えを持ってる人がいるなんて、って予想外だったんですよ。
そもそもそんな活動してるとは分かってなかったので。
「ウェブデザインの会社の人」くらいの認識ですし(笑)。

だから、真鍋さんの活動とか、考えとかもすーっと自分の中に入ってきて、
馴染んできたというか。
行政職員だけでは思いつかないようなアイディアもいっぱいでてきて、
その時に、今取り組んでいるフードハブ・プロジェクトの原案ができあがりました。

でも結局、案ができあがっても、
実際これは誰がやるんやろうという思いもあって。
お蔵入りするのはすごい勿体無いし、この活動自体は絶対必要やし。

で、もう今では真鍋さんにはネタにされてるんですけど、
「役場辞めてでも、このプロジェクトをやりたい」って思うがままに言ってました(笑)。

行政マンも、本当に必要な職業だなって思うんです

白桃 昨年(2016)の4月から、役場から出向という形でフードハブプロジェクトに参画しています。
会社設立や店舗のことなど、少しずつ準備をしてきた感じです。

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サンフランシスコにて、生産者の農場を訪問した時の様子。

ーその中で、特に記憶に残っていることはありますか?

白桃 ふたつポイントがあって。
ひとつは、アメリカの西海岸に行ったことです。

サンフランシスコのあたりって、
ファーマーズマーケットも沢山あって、農家さんと買う人の距離がすごい近いんですよね。
皆、農家さんを尊敬しているというか、
自分たちの食べるものを作ってくれている人たちという認識を、誰しもが持っているんですよ。

ひとつの食の文化が、完成されてるように感じたんですよね。
フードハブがやろうとしていることも、こういうことなんだっていうのを再認識できました。

その時、一緒に行ったメンバーは今のフードハブの中心メンバーで、
本当に多様な人たちばかりだったんですね。
会社社長から生活雑貨屋から農家から町づくりのプロもいる、みたいな。

その多様性があるメンバーで行ったことも、とても良かったんです。
それぞれ違う分野の人たちなんで、10人いたら10通りの意見があって。
しかも、皆で同じ風景を見ることができた。
帰ってから何かについて議論する時に、同じ風景を共有してるってことは、
話がしやすくて物事がスムーズに進むんですよね。
だから、すごくいい旅でした。

もうひとつのポイントは、少し個人的な話なんですが。

フードハブプロジェクトが走り始めた当初は、
自分と真鍋さんしかいない状況だったので、
全てをふたりで推し進めていっていたんですよね。
でも、段々とフードハブにも、
料理人、管理栄養士、教育のスペシャリスト、有機農家とメンバーも増えてきて。
尖ったものを持ってるひとたちが、集まってきたんです。

そうなってきた時に、自分はどういうふうに関与していけばいいのかなって、
立ち位置が分からなくなる状況があったんですよね。

その道のプロの人を差し置いてやるわけにもいかないし、
けど、自分からもアプローチしていくことも必要だし。
自分もやった方がいいのか、任せた方がいいのか。
ほんとにどうしたらいいか分からんくて、すごい悩んでたんです。

でも、ある日、真鍋さんと一緒にプレゼンをする機会があったんですね。
その時に真鍋さんが、
「白桃くんが、役場とか地域の調整っていうものを全部やってくれてるから、
自分はぶれることなく、やるべきことに取り組めてる」って話をして。

それで、あー、そうなんだって妙に納得できたというか。
今まで自分が担ってきた役目っていうのは一回終わって、
今は、プロたちを下で支えていくというか、サポートしていく役割なんだなあって。

真鍋さんもノマディックキッチンの時は、そういう役割だったそうなんですね。
料理人や生産者の人が前に出て、表舞台でやる。
でも、そういう人たちばかりだとイベントはまわらないから、
見えない所で動かしてた自分がいるっていう話と重なって。

だから、ポジションはそこなんだって。
皆が自由に動き回れるように下支えをしていけばいいんだなって。

ー皆がちゃんと機能できるように。

白桃 そう。
だから、ほんと最近なんですけど(笑)、腑に落ちて。
そういう下支えをするプロというか、そういう役割を担っていこうと思って。
そこはすごいターニングポイントになったと思います。

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昨年秋には、神領小学校の生徒と稲刈りも行った。フードハブプロジェクトでは、地域の食育にも取り組んでいる。©Akihiro Ueta

自分たちがやろうとしているフードハブプロジェクトは、
神山だけじゃなくて、色々な地域でやっていって欲しい取り組みなんですよね。
そうなった時に、行政がどういうふうに関わったらいいかっていうのは、
自分が伝えていけると思うんです。

やっぱり、行政マンっていうのは、ある意味、地域のプロフェッショナルじゃないですか。
だから、何かを始めようとする時に地域と繋いだり、
手続きや調整っていうのを上手にして、スピードをあげてあげたり。
そういう役割っていうのは、これからもっと重要になるんだろうなって。

可能性が今、町に溢れている気がします

ー最後に、今の神山を白桃さんがどういうふうに感じているか、聞かせて欲しいです。

白桃 今まで町の人は、テレビとか新聞とかを通して、
町の状況を知っていたと思うんです。

けど最近は、町内の人に向けての報告会や勉強会を多く開催したり、
町の人に町の現状を知ってもらうバスツアーとかもやったりしてるので、
地元の人たちも、なんとなく町のことがリアルに感じられるようになってきたと思うんです。
そうやって地元の人と、町に集う人たちが繋がっていけば、
もっとステキな状況になっていくというか。

今の神山は、中にいる人間から見ても、
すごい魅力的な町になってるなと思っています。
それはやっぱり、
住んでいる人だけじゃなくてここに集う人たちが、とても多才だから。
そして、皆、神山のことを本当に思ってくれてる人たちばかりだと思うんです。

オーバーな言い方をすると、
何でもできちゃうんじゃないかなって思えるような可能性が、
今、町に溢れている気がします。
可能性が溢れてるから、また新たに魅力的な人が来て、もっと可能性が溢れる町になる。
その連鎖が起こっている状況だなあって自分は感じています。

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