神山町 kamiyama-cho

神山への移住

すでに神山町へ移り住んでいる方々は、どんな想いを持ってやってきたのか。どんな生活や仕事をしているのか、レポートします。

吉田大輔(よしだだいすけ)さん・吉田智夏(よしだちなつ)さん。
2017年2月から、夫妻そろっての神山町上分中津(かみぶん・なかつ)にある
Cafe Brompton Depo(カフェブロンプトンデポ)にて働いている。

吉田さんは、埼玉県出身。奥様の智夏さんは、東京都出身。人付き合いに積極的な吉田さんは音楽好きで、音楽仲間の先輩が企画したイベントがきっかけで、智夏さんと出会います。
生まれも育ちも東京の智夏さん。神山に来るまで、東京から出て暮らしたことはなかったそう。お二人とも、これまでの時間のほとんどを、東京で過ごしてきました。

──神山に来たきっかけは何だったんですか?

吉田大輔さん(以下、吉田さん)
東京で小さいリフォームの会社の現場管理をしていましたが、怪我をしてしまって。腰を痛めて3週間ほど動けなかったかな…。動けなくなって、これからについて考えるようになりました。歳を重ねても続けていけるのか、そもそも本当にこの仕事をずっとやりたいのか、自分が何が好きか、ノートに書きながら考えました。

それで、もともと彼女とお店をやりたいと思っていたこともあり、まずはホームページで自分たちのお店を作ろうと、ふたりでWebの講座に参加したり、動き始めることにしたんです。

結果的に先に仕事を辞め、リハビリをしながら次の仕事を探しているうちに、神山町で行われる雇用型職業訓練の求人募集を見つけました。

神山ものさす塾というWeb技術者を育成する塾で、半年間、神山で暮らしながら技術を学ぶんです。思い切って応募して、神山に来ることになりました。

※神山ものさす塾:Web制作会社の株式会社モノサスが主催するWeb技術者を育成する雇用型職業訓練事業の名称。吉田さんはものさす塾2期卒業生。

──半年間の期間限定とはいえ、吉田さんが神山町に単身移り住むことになった際に、ちなつさん自身は移住について意識をしていましたか?

吉田智夏さん(以下、智夏さん)
いや、私は移住は全然考えてなかったです。むしろ塾が終わったら帰ってきてくれるものだと思ってました(笑)

吉田さん
僕自身も移住までは考えてなかったです(笑)
いつもそうなんだけど、興味があったら動いてしまって。この時はたまたま距離的に遠かったというか。動く動機が重なったんです。
Webについて学びたいと思っていたこと、それから、神山町に西村佳哲さんが住んでることも大きかった。働き方や暮らし方について、昔から考えてきたテーマではあったんです。何年も前から西村さんの本は読んでいて…。

※西村佳哲:1964年東京生まれ。武蔵野美術大学卒。2014年からおもに神山町で暮らしている。デザインプロジェクトを中心に、企画とディレクションを多数担う。そのほか大学等での講義や、ワークショップなど。著書に『自分の仕事をつくる』『ひとの居場所をつくる』など。

結婚して、より仕事と暮らしを分けない生き方がしたいなと思うようになったし、お店をするためにも、Webの勉強がしたいと思っていました。
彼女はその中身を詳しくは知らなかったと思います。とりあえず行ってきます、と出てきましたね(笑)

──実際に半年過ごしていく中で、どのような気持ちの変化があったか教えてもらえますか?

吉田さん
半年間、塾生の男性メンバー5人で、標高600mの山の上に住んでいたんですけど、
この、殿宮の山の上で過ごした時間は大きかったです。
※殿宮:神山町上分殿宮

正直、最初は「こんな山の上に住めんのかな?」と感じました。冷静に考えて不便で難しいことが多いだろうと思っていたんです。でもメンバーの中には、魚突きや狩猟経験が豊富なメンバーや、海外を旅してきたメンバーもいて、山の上での暮らしに対してもすごくポジティブだった。その中で過ごしていると、すごく不便だと思っていたことも、意外にいけるなと感じるようになりました。なにより、家の前に広がる景色、夜の星の多さは圧巻で。共有し合える仲間がいたおかげで、ずっと楽しかった。ここに住んでみたいと思うようになっていきました。

標高600m、殿宮からの眺め(2016年8-9月当時)

吉田さん
あとは、この中津との出会いも大きかった。
※中津:神山町上分中津。殿宮からは車で10分ほどの距離。

オニヴァでカフェブロンプトンデポを紹介してもらって、そこで開催しているサイクリングツアーに参加したんです。
※オニヴァ:神山町神領の寄井商店街にある、Cafe on y va(カフェ オニヴァ)。

当時参加したサイクリングツアー(2016年8-9月当時)

吉田さん
殿宮の家からもすごく近くて、そのうち週末は通うようになっていました。僕自身とても良くしてもらっていたし、ブロンプトンに集まる人たちがすごくおもしろかったんです。通っているうちに交流が深まって、ますます興味を持つようになっていきました。

週末は殿宮から中津に通って、ウッドデッキ作成(2016年8-9月当時)

──智夏さんには、いつ頃から神山町に移住したいことを相談していたんですか?

吉田さん
7月に神山に来て、10月には卒業後の進路の話が出始めていました。その頃だったかな。3連休に一度遊びに来てほしいと伝えました。
毎日連絡は取り合っていたので、話していた人や場所に実際に連れて行って、紹介して回りながら、「住めるのであれば、こっちで暮らす環境を作っていきたいと思っている」と伝えました。

──どう思われましたか?

智夏さん
その時は、いやいや、何言ってんの~(笑)くらいに思ってました。
でも東京に帰ってきて、11月の頭には、このお店をやりたい話を聞きました。
これは帰ってこないな…と(笑)

たしかに、東京に彼が帰ってきたとしても、何をするのか、また悩むことになるんだろうなとは思っていました。でも、私は職業訓練で技術を身に付けたわけでもなく、私自身の働き口がそもそもあるのか不安でした。行くか悩みましたね…。
別々に住むことも考えたんですけど、それに慣れてしまうのは夫婦としてどうかなと…。

吉田さん
彼女、東京から出て暮らしたことがないし、お母さんとは友達のように仲が良くて。友達とも遠く離れてしまうわけで…。神山にも馴染んでくれるかどうか、無理させないか、僕も悩んでいました。

その中で、このお店の仕事を紹介してもらって。仕事がある、やりたかったお店をふたりですることができる、ここで暮らせる!と思って報告しました。

智夏さん
カフェの仕事ができることを聞いて…、住む家も段々決まってきた様子も見えてきて…、
「いくか…!」という風に私も思えるようになりました。

──家はどのようにして探したのですか?

吉田さん
徳島市内を進められたり、町営住宅の話や、空き家の情報もいくつかもらっていましたが、中津に住むことを優先したいと思って探していました。
借主と、それから土地の所有者にも、人づてに話を通してもらって、築40~50年ほどの家が決まりました。修繕については、自分たちで出来る範囲行いました。電気も水もガスも来てなかったので、あらゆる改修が必要だったんですけど…。たくさんの人に協力してもらって今住むことができています。

工事期間は、カフェのオーナーの大門さんと、ご近所の方の助けを借りて約2ヶ月間ほど。
※大門さん(大門家):カフェブロンプトンデポを経営している一家。中津で大門製材所を営んでいた。

木工事、電気・水道工事は、職人でもある大門さんと一緒に。塗装・補修は智夏さんと一緒に。その他、知人の色んな方が来て協力してくれたとのこと。
2017年2月には、智夏さんも神山に移住。夫婦2人での神山生活がスタートしました。

智夏さん
まず、2畳半の部屋を直して、寝泊まりしはじめたんです。布団が2枚まっすぐに引けなくて、折れ曲がった状態で寝てました(笑)

吉田さん
しかも、途中で窓ガラスが一枚割れてしまったのを、ダンボールでふさいで(笑)
電気は隣のこんまい屋さんからコードでお借りして、水はお店で汲んで…。
※カフェブロンプトンデポのすぐお隣にある小さい苔庭を中心とした小物屋さん。

智夏さん
最初、家が決まった報告を受けた時、写真撮ってるはずなのに誤魔化して全然見せてくれなくて(笑)見せないってことはなんかあるんだろうなとは想定してはいたんですけど、なかなかでした(笑)

吉田さん
正直泣きそうになったこともあったんですけど(笑)、冬の一番寒い時期で、様子を見にきてくれる人とか、手伝ってくれる人が来てくれる度に、すごく救われていました。

やってて楽しかったけど、楽しいだけでは済まないことですよね。誰かに教えてもらうにも、普通だったらお金がかかることじゃないですか。大門家はじめ、協力してくれる人がいたからこそですね。ほんと。色んな人の協力があって、寒い中、お湯が出た時は感動しました。

──ここに住もうと思った一番の決め手はなんでしたか?

吉田さん
住んでいる人達が寛容なことかな…。居心地の良さを感じます。土地それぞれに空気感がありますよね。

智夏さん
大門家と一緒に仕事をしていることもあって、覚えてもらいやすいのか、良くしてもらっていることは実感しています。貰い物もたくさんする。支えてもらっています。

吉田さん
中津でも若い世代と呼ばれている50~60歳台の方達がキーマンというか。役場を引退された方もいて、裏側でつなぎ役をしてくれていたり、あらゆる面で動いて援助してくれているんです。細かい日常の不便の対応もしてくれていて、みんなからすごく頼りにされています。
こちらにそういった話を表立ってするわけでもなく、でもいつも気にかけてくれている。淡々と、移住してきた人達にも居心地が良いように配慮してくれている様子が伺えるんです。中津の雰囲気の良さは、そういった活躍をしてくれている方達の雰囲気が行き渡っているおかげなんだと思います。

中津の風景。©Akihiro Ueta

神山は移住者の雰囲気もすごくいい。どの人もとても温かかった。人が少ない分、目に見える範囲の人同士、関わりの密度も自然と高くなって、何かあればすぐに助け合う景色が目の前で見えていました。ここだったら、自分が理想としてきた生活や暮らしができそうだなと漠然と思ったんです。

──吉田さんの、地域の人たちときちんと関わり合いを持つ、持ちつ持たれつな姿勢はすごくいいなと思ってました。

吉田さん
興味があるものに対しては、オープンでいたいと思ってました。交わるのは自由。フルで楽しみたかったんです。
それは、東京にいた時からそうですね。これまで自分がいいと思うものに純粋に関わることで成長して来れたから、ここでも、初めてのことに偏見をもたず、フラットにいようと思っていました。

──今の仕事について教えてください。

吉田さん
Cafe Brompton Depo(カフェブロンプトンデポ)の店長を任せてもらっています。

メインはカフェの運営で、サイクリングツアー、ワークショップなど定期的に開催しています。季節によって、この建物だけでなく、川向いの森のテラスもかな。

カフェの外観(上)森のテラス(左下)カフェで開催したワークショップの様子(右下)

智夏さん
他には、近くの宿泊施設、オートキャンプ場の窓口も担っています。基本的にはふたりで運営してますけど、忙しい時は大門家のお母さんが手伝ってくれます。常に大門家と協力し合いながらですね。
基本的な役割としては、仕込みの段取り、在庫管理、料理などの中系はわたし。ホールから企画・運営などの外系はほとんど(吉田さんに)任せています。メニューは一緒に考えていますね。

吉田さん
休みは週2日ですが、一日は買い出し、後は自分たちの行きたいところに出かけてます。カフェも含め、気に入ったお店をまわります。今一番ふたりで興味があるのは、コーヒーですね。神山でも市内でも、自家焙煎して美味しいコーヒーを出しているお店が多いんです。自分達でも、豆・淹れ方・器具なんかも色々試してみてます。ゆくゆくは焙煎も自分たちでしたいんですけど…、次のステップを考える時間も含めて、すごく楽しいですね。

──好きなものを仕事にできているんですね。

吉田さん
そうですね、より近づいてきている感覚はあります。

──生活で不便なところはありますか?

吉田さん
あえて不便さを挙げるなら、病院かなと思います。何かあったときに大きい病院が遠い。大病にかかることを思うと、その点は不安に思ってます。すぐに診てもらえないことは怖いですね。生活面でなら彼女の方が思うことありそうです。

智夏さん
そうですね…。結構不便が楽しいかなと。移住を決めたひとつなんですが、こういう場所に来るんだったら、生活について勉強しようと思ってたんです。

吉田さん
春になるとワラビがそこらへんでいっぱい取れるんですけど、下処理の仕方も勉強になります。薪木を燃やして出た灰を活用した灰汁に、1日浸してアクを抜くんですよ。灰は畑でも使えるし、そういった生活の知恵を得る機会が多くてすごく勉強になりますね。薪ストーブの、薪の確保ひとつとっても生活の流れがある。
何でも手に入る生活からしたらめんどくさいことだろうけど、最終的にそういったことが苦にならないのは、好きだからなんだと思います。火を見ている時間だけでもいい。

智夏さん
あとは買い物とか…。最初は、週一回の買い物の感覚がつかめなくて、途中で買いに出る不便さなんかもありました。でも、その点も一年を通して感覚がわかってきたし、週一回co-opが来てくれていて、足りないものはそこで補うようにしています。近くのおばちゃんと顔合わせて話す機会になっていて、それも楽しいです。

吉田さん
知っていても、シャイでなかなか店に来れない人もたくさんいて、そういった人と会って関りを持つ機会があるのはいいですね。一度関わりができると、その先の楽しみが広がっていくので。

中津の人たちと、町内バスツアーで行った阿川地区の梅の木の下で集合写真。中津の人みんなで、地区を越えて交流を深める機会。

先日も、中津の人たちと町内バスツアーに参加したんです。
中津の人たちにとって、普段何気なく行っている道の駅でも、改めて運営者側の話を聞く機会や、僕と同じように神山に移り住んで働いている人と会って話すことは、別の視点を知るきっかけになってくれればと思っています。

──これからしていきたいと思っていることはありますか?

智夏さん
中津を、身近なところからもっと楽しくできたらいいね。

吉田さん
そうね。自分たちが感じているこの場所の良さを、もっと伝えられたらいいなとは思っています。水もおいしいし、少しあるけば滝がある。キャンプ場も、宿泊施設もおもしろい場所がある。大きく変わりすぎない範囲で、人が集まる場所になって、ここの人たちがもっと元気になればと。

──元気になるようにですか。

吉田さん
例えば、大門家のお父さんが今、ギャラリーを作っていて、この春から運営していくようになったんですけど、もともと木工が好きなお父さんが「ギャラリーをしよう」と思うようになったのは、頼られることが増えたことが活力になったからなんじゃないかと思うんですね。

年齢を重ねても、そんな風に寛容で、今を楽しく生きられる人柄に魅力を感じるんです。そしてとても共感しています。

自分が暮らす場所を、楽しい場所にしたい・良くしていきたいと思うなら、一番近い場所から広げていくことでしか良くならないのだなと思います。自分だけが幸せでは広がらない。
身近な人の幸せから、幸せが広がっていくことを、共有し、話し合い、協力し交わる場所を増やしていくことをしていきたいです。

智夏さん
結構無理をしたけど、ここに住んで良かった。もし市内に住んでいたとしたら、そんな考えに至ってなかったと思います。仕事が終われば帰ってしまうんですよね。

吉田さん
そうなると、見えないんですよね。ここに愛情が持てないと、周りの人との交流の仕方も変わってしまうと思うんです。暮らしと仕事を一緒にするって、きっとそういう交流の仕方にあるんだと、一年たった今思っています。大きなイベントを起こすだけではできない、小さい可能性だと思うんです。(2018年末日)

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