神山町 kamiyama-cho

神山はいま

イメージ

城西高校神山分校卒業生が経験した、学校の新しい取り組みと神山での可能性
「色んなことを経験して、色んな人に出会えた」

平成30年 6月19日

神山町唯一の高校である、徳島県立城西高校神山分校。今回は、この3月に卒業した中川創太郎さんと森下剛さんにお話を伺いました。神山分校では数年前から、学外での活動や町と連携した授業が多数行われています。 実際に身を置いていたからこそ話せる授業の様子や、おふたりが感じた校内の変化について、聞かせていただきました。

実習は、暑さと寒さとの戦い(笑)

pic-180619-01.jpg

中川さん(以下 中川) 元々、徳島市内に住んでいて、小学校を卒業して中学校に入る時に、親が神山の空き家を買ったんで引っ越してきました。ただ、家族は元々市内にあった家に住んで、僕だけ神山で家を改修しながら住んでいたので、いわゆるひとり暮らしみたいな感じだったんです。
その後、中学校3年生の時にようやく親も神山で住み始めてくれて、やっとぬくぬくとした生活がでたというか(笑)。

高校進学時に市内の学校に行く選択肢もあったんですけど、バスで1時間かけて毎日通うより、その時間を使って神山で色々できることがあるんじゃないか、と思ったのもあって、神山分校に進学することに決めました。

森下さん(以下 森下) 僕は生まれも育ちも神山です。阿川の日浦に住んでいます。小・中学校は神領まで通っていました。
高校は、とりあえず家から近かったのと、そこに行けば就職したい会社に入りやすかったっていう理由で、分校を選びました。

pic-180619-02.jpg

中川 同級生は学年全体で26人。僕らの造園土木科が20人で、生活科に6人でした。うちの学校は、普通に椅子に座って勉強というよりかは、どっちかというと外に出て行う実習とかがメインで。

森下 実習は、本当に暑さと寒さとの戦いでした(笑)。でも、山から木を切って運び出してきたり、庭の剪定とかを学んだり、色々なことを習得できたと思います。元々、体を動かすんが好きだったのもあって、実習自体はすごい楽しかったですね。

学校が持っとる演習林に行って、木を切ったり運び出したりする実習のことはよく覚えています。上の方でひとりが木を切って、下の方でワイヤーを使って切った木を一生懸命引っ張るんですよ。僕は引っ張る側だったんですけど、すごい大変でしたね(笑)。

ー友人関係はどうでしたか?

森下 友人関係はすごい良かったよな?

中川 大きいグループでひとつにまとまっとったんで、誰かを仲間外れにするとかいうこともなくて、本当に仲が良かったです。中学校の同級生たちとはまた違って、変わった奴らもいっぱいいましたけど(笑)。

僕らの代では、町内から分校に通ってるのは僕らふたりだけで、あとの子らは町外から来てたんですよね。中学校の同級生たちは、やっぱり市内や都会に憧れとか目指すものがあるみたいで、なかなか分校に魅力を感じてる子は少なかったと思います。

森下 でも、僕らは逆に都会に魅力を感じられなかった。中川くんも言ってましたけど、バスに1時間近く揺られて市内の学校に通うっていうんが、そもそも理解できなかったですし(笑)。

中川 市内だったら、放課後にカラオケ行ったりカフェでお茶したりしてるみたいなんですけど、それよりも「いや、お前ら川で遊べんやろ」みたいな(笑)。そっちに魅力を感じてましたし、優越感もありましたね。

地域に出ていくことで、活動の幅が広がった

pic-180619-03.jpg

ー2年生に上がった頃から、「孫の手プロジェクト」や「どんぐりプロジェクト」など、新たな取り組みが増えたと思います。参加された経緯は?

※孫の手プロジェクト:ひとり暮らしになり、家の周りの草地や庭木の手入れや修繕が難しくなってきた高齢者のお宅に、城西高校神山分校の高校生が訪れ、学校で教わった造園の技術を活かし、困り事を解消したりお手伝いをするプロジェクト。

中川 きっかけは、「孫の手プロジェクト」だったんですけど。最初は担当の先生からのほぼ強制というか(笑)。「とりあえず行ってこい」ということで行きましたね。

森下 初めは、このふたりだけで行ったんですよ。先生も、地元出身のふたりなので言いやすかったんじゃないですかね(笑)。その時は庭の草刈りをさせてもらいました。
最初に伺ったのは地元のおばあちゃんの家だったんですけど、すごい緊張しましたね。やっぱり学校とは違って、失敗しても責任は取れないですし、次に続けれんようになったらあかんので、出鼻をくじかないようにとにかく必死でした(笑)。

中川 でも実際行ってみると、そのおばあちゃんがすごい優しくしてくれたんです。サンドイッチくれたり飲み物くれたり。それに、昔の神山のこととかを色々話してくれたので、そういうので不安は和らぎました。最後には、「こんなに綺麗にしてくれてありがとう」って言葉をかけてもらえて、すごい嬉しかったです。
その後も、僕は5,6回くらい参加しました。僕たち以外にも参加する学生は少しずつ増えてきた感じでしたね。

森下 自分たちでチラシを作って、直接配りにも行きました。「庭の手入れが必要そうな家に、ピンポン押して配りにいこう!」って感じで。そこから2件くらい依頼が来たんだったかな。

中川 始めたばっかりで、「孫の手プロジェクト」のことを知らないっていう人が沢山いらっしゃったので、とにかく多くの人に知ってもらわなくちゃいけないと思ったんです。それに、依頼が少なかったら参加できるメンバーも少なくなってしまうし、次に繋がっていかないじゃないですか。

ーそこにはどういう思いが?

中川 最初のおばあちゃんの家に行った時から、すごく良いプロジェクトだなあって。地元の人にも出会えるし、自分たちのスキルを活かすこともできる。だからこそ、同級生や後輩にもこのプロジェクトにどんどん参加して欲しい、っていう思いがありました。特に市内から来てる生徒は、地元の人との交流がそもそも少ないので。

pic-180619-04.jpg

pic-180619-05.jpg

ー「どんぐりプロジェクト」はどうでしょう?

※どんぐりプロジェクト:「神山つなぐ公社」と城西高校神山分校の生徒が一緒になり、神山町大埜地で建設が進む集合住宅に植える植物を、神山の山で集めた種を発芽させて育てていくプロジェクト。昔からあった植物を地域に残し、景観を維持していく為に行われている。

中川 「どんぐりプロジェクト」は造園土木科の生徒、全員参加でした。集合住宅設計チームの田瀬さんや神山分校の片山先生が、山にずんずん入っていって、植物の名前だったり特徴を解説していくんです。それがもう本当すごくって(笑)。何で葉っぱとか見ただけで、こんなに分かるんだろうっていう。

森下 まずそもそも、どんぐりから芽が出るっていうこと自体初めて知ったので、衝撃的でした(笑)。

中川 造園土木科なのに(笑)。

森下 (笑)。でも、自分たちが取ってきて育てたものを集合住宅に活かして使ってくれるっていうのは、次の世代に繋がっていくことなので、とても嬉しいですよね。将来、自分が見た時に「あの植物がこんなに大きくなったんや」って感動するんじゃないかな。

ー学校での新しい取り組みが始まって、クラスの雰囲気などに変化はありましたか?

中川 それまでは草刈りとかだと嫌々やっていたり、サボったりしてた奴らもおったんですけど、段々と実習の内容が変わっていくにつれ、皆、楽しむようになってきましたね。どんどんと積極的に実習にも取り組むようになって、クラスの雰囲気もすごい明るくなっていったと思います。

pic-180619-06.jpg

オランダ国際交流時の写真。

これは僕個人の感想なんですけど、こんなに色んなことを分校でできるなんて、入学を考えた時は思ってもなかったんですよね。「孫の手プロジェクト」や「どんぐりプロジェクト」もそうですけど、他にもオランダに国際交流で行ったり、造園土木科のPR動画をえんがわさんと一緒に作ったり。
どんどん地域に出ていくことが増えてきて、そこからめちゃめちゃ活動の幅が広がったというか。
経験できることがすごい多くなったな、って感じましたね。

「分校×神山」で可能性が広がった

pic-180619-07.jpg

ー今の神山はどう見えていますか?

森下 ずっと神山に住んでいるので、ちょっと前と今の両方を知ってるんですけど。今の神山では、新しい人が入ってくることが当たり前になってますよね。それはそれですごくいいことなんじゃないかな、って僕は思ってるんです。移住してきた人たちが神山をより良くしてくれるのであれば、過疎化の対策にもなりますし。

神山には色んな選択肢が広がってると思うんですよね。山や畑っていう自然も沢山あるので、木を切って木材にしたり農業したりと、色々と活用すれば、将来何かできるかもしれないなって。そういう期待もあります。
分校に通ったことで、造園や林業の知識もついたので、そういう選択肢も選びやすくなってますよね。僕自身は「分校×神山」で色んな可能性が広がりました。だから、分校に来て良かったなあ、と改めて思っています(笑)。

pic-180619-08.jpg

中川 今の神山がどういう町になっているのか、高校に入るまで知らなかったんですよね。でも、最近も新しいお店ができたり、それこそ森下くんが言ったように新しい人が入ってきたりと、どんどん町が変わっていってるな、と感じています。

僕はずっと神山に住み続けるつもりなんです。今まで本当に色んなことを経験させてもらったし、その過程で色んな人に出会えたんで。神山町に恩返しというか何か少しでも町の手助けができればな、っていう思いがあるんです。

大学を卒業した後、もしかしたら神山で就職することになるかもしれないですけど、自分ができることを神山で実践していって、神山に住んでる人たちから認められるようになりたいです。
そして、自分みたいに神山中学校から分校に進学しても、神山で色んなことを経験したり実践できるっていうことを、これからの神山中学校の生徒に知ってもらいたい。それで、その子たちに神山の魅力をもっと感じてもらえたらな、って思っています。その為にも、色々と新しいことをやっていきたい。

具体的には、農業をやりたいんですよね。神山は、耕作放棄地が多いこととお米の需要に対して供給が足りていないっていうのを、何かの記事で読んだので。そのふたつの問題を改善する為に、何かできることはないかな、って考えています。

pic-180619-09.jpg

ピックアップ