神山はいま

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NPO法人理事長の、桜の植栽活動と移住者との関わり
「やっぱり人がおらなんだら、駄目だわ」

平成28年12月 1日

神山町出身の粟飯原基行さんは、元々、徳島市内で農業指導員の仕事をされていました。退職後は、すだちとお米の栽培をしながら、「NPO法人神山さくら会」の理事長も務められています。長年、地域活動に取り組まれていた粟飯原さんは、今の神山の変化や移住者に対してどういう思いを抱いているのでしょうか。粟飯原さんがお父さまの代から引き継いでいる物件に入居して、オーダーメイドの靴屋「LICHT LICHT KAMIYAMA(リヒトリヒトカミヤマ)」を構えている金澤光記さんも交えて、お話を聞いてきました。

桜には、ものすごいパワーがあるんです

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粟飯原さん(以下 粟飯原) 粟飯原基行といいます。
歳はあんまり言いたくないんですが、72歳です。
向こうから迎えに来るんが近くなりました(笑)。

小学校、中学校と神山におって、高校は徳島市内の高校に行きました。
その時は、下宿していましたね。徳島の高校に行っとる人は、殆ど下宿でした。
不便でしたからね。

卒業してからは、神奈川県の平塚におりました。
国の果樹試験場の研修所があって、そこに2年間くらい研修に出とったんですね。
その後は、広島の農協に駐在して、技術指導とか販売指導をやっていました。

ほんで、そこに5年くらいおったんですが、
家族から「もうそろそろ帰ってこい」と言われたのもあって、帰ってきました。
まあ、嫁はんもらわないかんっちゅうこともあったんでしょうけど(笑)。

帰ってきてからは、徳島市内の農協会館で35年くらい勤めて、
退職後は、すだちとお米を栽培しています。
すだちは2反5畝くらい、お米は5反くらいあります。

仕事以外では、「神山さくら会」っていうNPO法人の理事長をしています。
さくら会は、仕事を辞めた時に20人くらいで立ち上げました。

桜には、やっぱりものすごいパワーがあるんです。
1本の木でも、そこに存在するだけで人を呼ぶことができますので。
ほれでまあ、人が集まるような神山町をよみがえらそうっちゅうことで、取り組んだんがスタート
ですね。

今、さくら会では、育苗と定植の両方の活動をしています。
苗木は、希望者の方には無償で配っとるんです。

神山しだれ(しだれ桜)と神山桜(八重桜)っていうん両方植えとって、
合わせたら6,000本近い本数になってきとると思います。
これだけしだれ桜が植わっとる地域は、他にないですね。
管理が難しいですから。

しだれはね、植えたら支柱たてていかなあかんのです。
そのままやったら、ふにゃあとなるんで。
普通の桜やったら、植えただけでいいんやけど、その点でなかなか難しい。

今、活動しよる人数は、37,8人ですけども、もう高齢化でね。
斜面に掘って、桜植えて、杭打ってってホンマに重労働で大変なんですよ。
本当に悩んでます。なかなか新規入会もないですし。

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国道438号線沿いに続く、「神山さくら道」。

ただ、普通の桜だけを植えとったら、ここまでの人気は出てなかったと思います。
今は、県下でも有数の桜の名所になりましたんで。
今年の4月は、国道が車でいっぱいになりましたよ。
あんなこと、今までなかったですからね。本当にありがたいことです。

でも、これはホンマに町民の皆さんが、植樹や草刈りをしてくださったおかげですね。
我々が、全部まわってはでけんですから。
地域の人が、自分のとこは自分たちで管理していこうっていう姿勢があったけん、
こうなったんやと思います。
さくらの会だけやなしに、地域の人が育てたものですね。

靴屋さんてやっていけるんかなあと思ったんですよ(笑)

ーこの場所(LICHT LICHT KAMIYAMA)のことを教えていただけますか。

粟飯原 ここの場所は、私の父が親戚から譲り受けた場所です。
大正時代くらいに建てられて、最初は、お豆腐屋さんかなんかをしよったとは聞きました。

私が物心ついた時は、薬局屋さんで、その後は電気屋さんでした。
電気屋さんがなくなってからは、15年くらいそのまま放ったらかしだったんです。

家内とも、「この家も空き家になってよわったなあ、誰か借りてくれる人がおったらなあ」というような話を、ようしよって。
つぶしたって、道がちょっと広くなるくらいで、何にもならんでえね。
そんな時に、金澤さんから借りたいっちゅうお話があったんですね。

でも、私は最初、靴屋さんて田舎でやっていけるんかなあと思ったんですよ(笑)。
ほたら、よう聞いてみたら、それだけの勉強もされて技術もしっかりしてるでしょ。
あー、これはすごいなあと思ったんですよ。

今やったら、もう県下で私の知りあいは殆ど知ってますねえ。
やっぱり彼もマジメな人ですから、県庁とかから表彰状やもらったりしてますんでね。
私も自分の事のように嬉しいなってくるんですよ(笑)。

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「LICHT LICHT KAMIYAMA」の金澤さんと、店の前にて撮影。

ー金澤さんは、何故この場所を借りられたんですか?

金澤さん(以下 金澤) 僕は神山塾出身なんですけど、塾の期間にこの物件のことを聞いたんですね。
神山で自分の店をやろうっていう気もそこまでないというか、
具体的に全然考えてなかったんですけど、
「まあ、一度見に行ってみたら?」という話をされて。

それで、グリーンバレーの職員さんとふたりで、懐中電灯を持って、見にきたんですね。
もうボロボロのカーテンがあって、薄暗くて。
後から聞いたら、子どもたちはお化け屋敷って呼んでたらしいんですよね(笑)。

粟飯原 (笑)。前の人が出てって、そのままだったんですよ。

金澤 ただ、カーテンをあけたら、割といい感じに光が入ってきたんですね。
その時に、なんか良い場所だなって。
あと、自分がやるんだったら、これくらいの規模感の店がちょうどいいなっていうのは、思ってたんです。

で、まあ改装すればなんとかなるだろうっていうのと、
近所にも知ってる人がいたので、ここでやってみたいなあって。

粟飯原 ここはね、材質は昔の木でええのを使っとるんですよ。
やけん、壊すんもったいないなあって思いよったしね。
ほなけど、入ってくれて賑やかになったし、地域も活性化したしね。
ありがたいなあと思ってるんですよね。
やっぱり人がおらなんだら、駄目だわ。

地元の人も巻き込んで、一緒にやっていったらええ

粟飯原 沢山の人が神山町に入ってこないと、町の将来はないと思いますね。
このまま放っといたら、将来どうなるかっちゅうのは、誰でも想定できると思うんですよね。
だから、その為に役場とかグリーンバレーさんが一生懸命やってるような、
人に入って来てもらったり、定住してもらったりっていう活動が、
ホンマに大事だなって思いますね。

そういう環境を作っていかないかんですよね。
人がいなきゃ、産業も文化も観光もとにかくもう、
振興なんてできないでしょうね。
人がいるからできるし、また後の世代に繋ぐことができるんですからね。

ー移住者の人たちに期待することはありますか?

粟飯原 いやー、期待するというか、教えられることが多いんちゃう。
金澤さんと話しよっても、もっとしっかりせえって言われよる気がする(笑)。

でも、神山に入ってこられよる人らは、色んな人がおるけん、
あれが皆、寄り集まってひとつの目的に向かっていったら、
そりゃあ、すごいもんができると思いますね。

皆が知恵を出し合ってね。
地元の人やも巻き込んで、一緒になってやっていったらええなあって。
そこらへんは、今の神山の面白いとこちゃいますかね。

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LICHT LICHT KAMIYAMA

町内で実施されている人材育成プログラム、「神山塾」の卒業生である、金澤光記さんがはじめたオーダーメイドの靴屋。2015年1月にオープンし、それぞれの足と生活に合った「ちょうどよいものづくり」を目指している。http://lichtlichtblog.tumblr.com/about
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