神山はいま

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「今」だからこそ、町に関わる
―私ができる町への還元―

平成28年 4月23日

神山町出身で建築士の赤尾苑香さん。2016年4月からは役場主導で作られた一般社団法人「神山つなぐ公社」でお仕事に取り組まれています。町の取り組みや流れについて詳しく知らなかったという赤尾さんですが、今では町の変化の中心地にいます。地元出身者である赤尾さんの思いやこれまでの経緯についてお伺いしました。

独立時に芽生えた思い

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ー今日はよろしくお願い致します。赤尾さんは生まれも育ちも神山町なんですよね。

赤尾さん(以下:赤尾) そうなんです。
神山の広野というところで生まれて、今現在も神山にいます。
特に町外に出たいと思ったこともないまま、ずっと神山で生活してきました。

仕事は建築士です。

中学校の頃はインテリアの仕事をしたいと思っていて、高校卒業後徳島県内の専門学校に入りました。
たまたま2年生の時にインテリアのクラスと建築のクラス合同で設計の授業があって、
そこで初めて建築に出会いました。

そこからは設計にハマってしまって建築士になることを決めました。
元々、自分の手を動かしたり作ったりすることが好きだったので、
必然的にそっちに惹かれていったのかもしれません。

専門学校卒業後は10年くらい徳島市内の設計事務所に勤めて、ちょうど1年前に独立し、
神山で「その建築設計工房」という設計事務所を立ち上げました。

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自宅の仕事部屋にて。赤尾さんが設計した友人の家はもうすぐ竣工予定。

独立するにあたって、もっと神山という地域に深く関わっていきたいなって思いました。
今まで自分が神山の外で得てきたものを次は神山に還元して、
恩返ししていくべきではないかなと。

そう感じるようになったのは最近神山がメディア等で頻繁に取り上げられるようになって、
周りから「最近新しいお店できたよね」とか色々な話を聞かされるんですけど、
私は自分の町のことなのに全然知らなくて。

そういうことを聞かれても、
答えられないことに段々と恥ずかしくなってきたんですよね。
恥ずかしいし、自分の町のことを何も答えれないって駄目なんじゃないかって。

だから、本当に漠然とですけれど自分の仕事をしていきながら、
神山にちょっとずつでも何らかの形で関わっていけることがあればと思っていました。

でも、やっぱり今まで外で仕事をしていたので、
どういうふうに関わっていったら良いのかも分からず、
なかなかきっかけも掴めないままいたんです。

町のことを知らないジレンマ

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そんな時に役場の方と知り合う機会があって。
それが昨年の12月のことなんですけど。

ー昨年ですか。

赤尾 はい、本当につい最近なんです(笑)。
その時に今の神山の現状とかを聞いて、改めて神山のことを知ったっていう感じで。
それを聞いて単純に思ったのは、
10年後か100年後かは分からないですけど自分の思い入れのある神山がなくなってしまうのは、
純粋に嫌だなっていうことでした。

そして、今回新しく作った「神山つなぐ公社」のお話を頂いたんです。
役場の方からご提案頂いたのは、
委託という形で設計事務所の仕事をしながら公社に関わるか、
もしくは3年間事務所の方は休業してどっぷりと公社に入るか、というものだったんです。
私自身関わるのであればとことん関わりたいと思い、事務所を休業して公社に入ることを決めました。

勿論、とても悩みました。
一度休業したら3年後に自分の仕事がどうなるかも分からないですし。
でも、前に自分がいた設計事務所の所長さんに相談したら、
「それは絶対やるべきだ」って言われて(笑)。

結局悩んでもネガティブなことしか考えられないと思うから、
今はそういうことは1回置いといてもっとポジティブな方向で考えた方がいいよって背中を押してもらえて、気持ちが軽くなったというか。
まあやってみるかって、3年後どうなるかはまあその時に考えたらいいやって(笑)。

ー神山に対する気持ちがとても強いように感じます。

赤尾 最初、神山がなんとなくメディアで報道されていることとかは知っていて、
ちょっと言いづらいんですけど、自分の知っている神山がどんどんなくなってしまう、
神山が別の何かに大きく変わっていってしまうんじゃないかっていうのは漠然と感じていました。
それはある種の拒否感みたいなものだったのかもしれません。
ずっと住んでいるものとしてそういう気持ちがあったことも事実です。
でも、やっぱりそれ以上に町のことを知らないジレンマだったり、
関わっていく必要があるんじゃないかっていう勝手な使命感の方が強かったんです。

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赤尾さんが生まれ育った広野地区。「これからは広野でも何かしていきたい」と赤尾さん。左下に見えるのは広野小学校。

根本にある家族への思い

私が神山に対して関わりたいって考える理由の根本は家族の存在だと思います。
私は家族が本当に大好きで。
両親も両方とも神山の出身なので夏休みとかも神山にいるというか。

そんな中で10年前に父が病気で亡くなったんです。
父は、この人に付いていっていったら心配ないというようなホントに存在感のある人でした。
その父が亡くなったことは本当にすごく大きな出来事でした。

それを機に、
私自身生きることや死ぬことってどういうことなんだろうって考えるようになったり、
人の人生とか命とかってなんだろうってすごく考えるようになったんです。

神山って私が生まれた場所でもあるんですけど、
父との思い出がある場所でもあるし、父が生きていた形跡がある場所でもあるんですよね。
だから、神山に思い入れが強いっていうのもあると思います。

最近ですね、甥っ子が生まれたんですよ。
甥っ子は父に出会ったことはないけど、目に見えてない所で家族のバトンがもう一つ繋がったというか。

そういった父やそれ以前の人たちから派生してきて、なんかこう代々受け継がれてきたものを守っていく、繋いでいく必要があると思うんです。
特にそれがこの土地だったり、田舎だったからより一層感じられるようになったのかなとも思っています。

これはちょっと話が余談になっちゃいますけど、
父も祖父も率先してPTAの会長や地域の世話役みたいなのをしてたそうなんです。
社交的だし行動的だし、結構色んな所に顔出すような人だったんですけど、
今回公社に入ることを決めた時に、
なんか私にも家族の血が流れているのかなって実感できて誇らしかったんです。
なんか、私も決断したなあっていう感じで(笑)。

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今後集合住宅に生まれ変わる予定の旧学生寮。

これからのこと

ーこれからどういったことに取り組まれるんですか?

赤尾 私自身は公社では「すまいづくり」のプロジェクトに関わらせて頂きます。
昔の学生寮の跡地を使った集合住宅の計画や空き家の改修等に地元の大工さんや設備屋さん、移住交流支援センターの人たちでチームを組んでプロジェクトを進めていきます。
その取りまとめというか総括をしていく立場です。

実は独立した時に、手刻みの大工さんと一緒に昔ながらの手法で仕事がしたいなって思っていたんです。
また、私の家自体も築90年くらいでそろそろ手を入れなきゃって思ってた時に空き家の改修の方法を学べたり。
あとは私は造園の方にも興味があるんですけど、
今回の集合住宅の方でランドスケープデザイナーの方も来られるのでそういうことも勉強できたりとか。
まさに今、自分自身のしたいことにも重なるので、本当に貴重な機会を頂いていると思います。

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民家改修チームのミーティングにて。笑顔が溢れ、終始和やかな雰囲気で進められていた。

人生って不思議ですし、タイミングですよね。
1年前の自分は、今の自分の状況を全く想像していませんでした(笑)。
元々をいえば、自分が独立するとは思ってもなかったですし。

とにかく、本当に走りだしたばかりです。
頂いているご縁やありがたい繋がりを大切にしながら、
自分の職能を活かしていきたいです。

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