神山町 kamiyama-cho

神山への移住

すでに神山町へ移り住んでいる方々は、どんな想いを持ってやってきたのか。どんな生活や仕事をしているのか。立地や交通の情報、買い物や飲食店、電気水道、ガス、ネット環境などの情報とあわせてレポートします。


織田智佳(おだちか)さん 地域おこし協力隊 2015年7月~

織田さんは、徳島市生まれ。大学から関東へ移り、卒業後は教育系出版社に就職。幼児から小学生向けの体験教材の企画編集に携わっていました。
30歳になるのを機に人生を見つめ直し、今までの経験を「世界の子どもたちへ届けたい」という思いから、青年海外協力隊に参加。2年間、南米ボリビア多民族国(通称ボリビア)に派遣されました。
ボリビアでは、青少年活動の隊員として、子どもたちの遊びと学びの環境づくりに携わっていたそうです。赴任地は標高3700メートルにあり、
一日の間に四季が移り変わるような温度差だったそうですが、厳しい環境の中でも明るくたくましく生きる現地の人々に助けられ、学んだ経験が彼女の宝となっているようです。
その後帰国し、東京都内のボランティアセンターでコーディネーターの仕事をした後、独立行政法人国際協力機構(JICA)へ転職。開発教育/国際理解教育の担当をとおして、開発途上国と日本のつながりを実感。世界が持続可能であるために、日本に住む自分たちの暮らしから変えていく必要を実感。子どもの誕生が後押しになり、田舎での暮らしと地域おこし協力隊という道へ進んだそうです。

──今の仕事はどんなことをしているんですか?

織田智佳(以下、智佳さん):地域おこし協力隊として、いわば、まちの魅力を掘り起こすような仕事をしています。神山に住んでいる人は、謙遜されて「ここには何もないよ」と言うけれど、外から来た私には、「全てがある」ように感じています。それは人のつながりや優しさ、自然や伝統だったり、生きる知恵だったり・・・。何より暮らしがより循環している。このことを地元の方にも、外の方にも伝えていきたいですね。でもまずは、私たちがここで楽しく暮らしていることを周りの人たちに伝えることでしょうか…。

──仕事でこれから取り組んでいきたいことはありますか?

智佳さん:今は町の特産品であるスダチや梅の振興や、都市とのつながりを創る活動に取り組んでいます。しかしまちが次の世代に続いていくためには、今の住民やこれから移り住むところを考えている方に「このまちで子どもを育てたい」と思ってもらうことが大切ではないかと思います。なので、例えば、自分の子どもにも与えたいような経験…、そんな機会を創ることから取り組めるといいなと思っています。

──神山を選んだ理由は?

智佳さん:IT業界で仕事をしている主人の知り合いが、神山にサテライトオフィスを開いた会社で働いていたりということもあって、帰省した際に「ちょっと行ってみようか」ということで4年前にふらりと訪れました。突然の訪問、しかも家族大勢で押し寄せたにもかかわらず、NPOグリーンバレーの皆さんの対応がすごく親切丁寧で、いきなり神山に魅せられました。その時は移住までは考えていなかったのですが、昨年、地域を選ぶにあたって、「あの神山」と記憶がよみがえり…。実家のある徳島市からの距離感もほどよく、協力隊の募集などのタイミングも重なり縁を感じたので選びました。

※神山町では、認定NPO法人グリーンバレーが町から委託を受けて、移住交流支援センターを運営しています。

──住んでいるお家について教えてください。

智佳さん:90歳を越えるおばあちゃんが数年前まで暮らしていた思い入れのある家を、グリーンバレーから紹介していただき、改修をしました。
床や天井を直し、浄化槽を設置。お風呂はそのまま使えたんですが、和式のトイレを洋式にし、キッチンも新しいものにしました。あとは駐車スペースを確保するために、塀の一部を積み直したり。改修費用の一部を町から助成してもらいました。
改修を担当してくださった若手の大工さんが、私たちの思いをくみ取って柔軟に対応してくれました。大工さんと家のことを相談したり、工事が進む様子を見るのがとても楽しくて…。 押入れを改造して主人の仕事スペースにしたのですが、一枚板の天板を作ってくれたり、神山の木材をふんだんに使った、木のぬくもりに囲まれた暮らしを心地よく感じています。 住み始めてからも、自分たちで漆喰を塗ったり障子を張り替えたり、今でも少しずつリフォームを進めています。
この集落には現在、10軒程の方がお住まいで、子どもも一人います。ご近所の皆さんは、私たちのことを気にかけてよく声をかけてくださいます。隣のおばあちゃんは「うちの畑を自分の畑だと思って」と言ってくれて、いつも野菜をいただいています。

──生活に不便なところはありませんか?

智佳さん:山と川に挟まれたロケーションで、川のせせらぎが聴こえるところが気に入っているのですが、北向きで陽当たりが良くないので、冬の寒さ対策に薪かペレットのストーブを設置できればと思っています。 あと、ここは車がないと移動が難しいので、狭い道を運転するのが怖いですね。買い物は休日にもっぱら道の駅で買っています。
子育てに関しては、他に移り住んだ方とも、親子で気軽に行けるような公園や児童館のような場所があったらいいなと話しています。今はまだ知り合いが少ないこともあり、他の親子や地元の方とも接する機会がもっとあると嬉しいですね。

──子育て環境はどんな感じですか?

智佳さん:2歳の娘を保育所に預けているのですが、こちらへ来て待機児童がないことにビックリしました。東京では考えられない事です。
あと、運動会や清掃作業など、保育所の行事に保護者も参画している雰囲気がいいなと思っています。知り合いもできて嬉しいです。

──ご主人の仕事を教えてもらえませんか?

織田裕睦(以下、裕睦さん):主にインターネット関連のシステム開発やスマホアプリ開発をする会社を経営しています。
会社の方針としてロケーションフリーという働き方を推進しているので、このまちで働くことはそれに打って付けでした。東京と神山が半々ぐらいの生活をしていますが、神山にいる時間が確実に増えてきています。 僕みたいなIT業界の人はネット環境があれば大半の仕事ができてしまうので、自然が近くて、東京のような高い家賃や生活費も抑えられるとなると、ここでの暮らしは自分にとって一石三鳥ではないかと思います。会社経営に必要なバランス感覚や胆力も養われると思います。 IT業界だけでなく、音楽系の仕事や執筆、物流センターなども田舎の方が向いているかもしれません。

──ここに住んでみての感想やこれからの抱負は?

裕睦さん:神山は人がいいとよく言われますが、まちの方は本当に親切。移り住んだ人もチャレンジングな方が多くて刺激をもらっています。狩猟や農作業など、地元の人の経験や知恵をもっと学んでいきたいですね。

智佳さん:豊かな自然や人との関わりの中で子育てができることが嬉しいですね。これからここ神山で、自分たちの故郷をつくっていきたいです。

取材者:青年海外協力隊と地域おこし協力隊。地球の反対側で感じた人のつながりや循環した暮らし。サステナブル(持続可能)な世界を目指して、やってきた日本の田舎。両者を結ぶのは、「人の温かさ」…。世界から日本の地域へ。経験をいかに伝え、輪を広げていくか、今後の活躍に期待したい。

ピックアップ